共に食べることが大事

京大の山極先生の言葉


人間がサバンナにでて、困ったことは食糧不足です
遠くまででかけていって、分散してる食べ物を集めて
自分より弱い仲間に食べさせるためにもってくる
必要がありました・・・


人間が人間になった、その原点といったことは
この共食がひとつあるのだと、説明しています


家族ということ、家族で食べ物をわけあって食べる
ということ。人間にとって、すごく大事な行動だと
思うのです。このことが、大事とわかる、感覚的にわかる
ということ。この状態をキープできること。これが人間であり
続ける、大事なことといっていいのではないでしょうか?


このことを、忘れない、この感覚を感じて生きてる
そういうことが、とても大事なのだと、記憶したい
そして、こんなふうに書いていて、おそらくは私が生まれた
昭和30年代、またきっと20年代も40年代も、この数十年ということは
日本がほんとに平等(といっていいかは、実は自信がない
少なくとも、格差社会に向かっていなかった)な感覚が
あった。平たく言うと、みんな貧乏だった、このことと
セットで、思い出すことになりそうと、思う


昭和も終わりころになり、平成になり、おそらく日本社会も
格差社会にむけて、スピードをあげてるように、感じる
聞こえてくるのが、壁を越えられないといった、話ではないか
そして親の世代より豊かになれない・・・


これは、経済成長を日本がしていないということと、つながってるのだ
と、感じる。先日「立ち読み」だから、タイトルも忘れたけど
お隣の韓国では、30年でひとりあたりの国民所得は3倍となっていた
それは、すごいことといっていいかもしれない。日本は横ばいといって
いいのだから。


日本では、失業率は低いかもしれないけど、所得が伸びない
また、リストラといったことは普通になりました。リストラが
普通というのは、いやだなとずいぶん思うけど、現実は
みなくてはならない。


利益を出すのが、企業といっていいので、そうなれば、利益をだすために
人件費はけずるのだという。経営者は削っていい人件費と削ってはだめな
ところと、見極めないといけないと思う・・・


さて、人間の原点
格差社会はいやだけど、おそらくは、自分たちが育った、昭和の30年代40年だというのが
稀有な時代なんだと思ったほうがいいように、感じてきた
格差社会はいやだけど、そう進むなら、なにが格差社会でまずいのかを
知って、できるだけ、そのデメリットを消していくようななにかを
したいと思います


人間の原点は、共に食べること、共感できること
そう定義をしてみて、そこから、やったらまずいぞ、だとか
感覚ということを、研ぎ澄ましていきたい
おそらくは、もうずいぶん、にぶってしまっている、あれこれが
あるのだと、想像しながら