美術館の話

美術館にいって、自分が気に入る、いい絵だなと
思うアートに会えるのは、楽しみとなっています


ときどき、美術館にいっても楽しめないなと思ってる人が
いますね。実際のところ、つい、10年ほどまえまでは自分も
そうだったのです


ひとつには、息苦しさみたいなもの。つまり美術館に飾ってある
ような「すごい絵」を自分がいいと思って鑑賞できないと
すれば、自分がそのことを感じることができない、つまり
劣等感といったことがでてきてしまうのですね


ですが、あるときから、例えば、人に会って、会ってすぐ
この人とうまがあうなとか、楽しいなと思う人もいれば
どうも、うまがあわないと思ったり、また、最初はあんまり
だった人が会うたびに、だんだん、いいなとなったり
その逆だったり、いろいろなのと、全くいっしょといっていい
その作品、その作家にしても、いろいろで、自分としては
見ること自体、あんまりだったり、とってもいいながあったり
これはあたりまえのことといっていいのですよ


そのことに気づいて、楽に作品をみることができる
ようになりました。むしろ、自分がいいなという作品に
出会えたら、まさにいっしょにいていいなという人に
出会えたときと、似ていて「ラッキー」「やったね」
ってなもんで、めずらしいことに近い、いいことと
いっていいのではないでしょうか


今年は「マティス」がとってもいいなと思えた、展覧会に
行ってきました。しかもパリ、ポンピドウセンターの
コレクションだという、今年みた、マティスの絵は
マティス自身が最後まで手元に置いておきたくて
そうした、コレクションなのだと聞いて、なおさら
いいなでした


マティスに興味がもてたのは、数年前に、箱根ポーラ美術館にて
モネとマティスを、コーナーそれぞれで、ならべて鑑賞しましょう
といった、展示をやっていて、その二人をつないでいるのが
二人とも「相手を喜ばせたい」「もてなしたい」という気持ちなんだと
そういうコンセプトでした


がぜん、興味を持ちました


こうした、自分と共通点といったことがみえると、興味の度合いが
あがるというのは、とってもあることだし、まさに、ある作家、作品に
いいなと思う「王道」といっていいことなのではないかと
思います


マティスは、デッサンを重視してるといいます
マティスは、猪熊弦一郎に語ったと言います
形、アウトラインをたどることはだれにもできる
だけど、その対象のものがもってる、本質を描きだす
そうした思いで、デッサンを重ねることが大事なんだと


そういう、絵そのもの、美への崇拝といっていい態度に
なんというか、感動なんて言葉では軽いといいたくなる
思いを持ちます


人は、生きることの意味を、ずっと探して生きていくと
言っていいのだと思いますが、絵であり、美にそこまで人生を
かけていくことができてることに、すばらしさを感じます


美術館に行くこと
それは、作家の生き方を知れる場に行くこと
といった、私の楽しみは続きます