学びとプライド

プライドというのは、いいものだと思っています
そうなのですが、ときにプライドがあるゆえに、学べない
ということが、起こるように思います


「後輩からも学ぼう」そんなふうに、社員にいいます
だけどそれって、けっこう難しいこととも言えますね
自分より年齢が下、例えば、精神的にだって、下に思える
人から学べるのか?


今の自分自身は?といわれれば、限定的といわざるとえない
ですが、少なくとも自分が興味あること、「人財育成」について
だとか、そうした自分が目をもってることについては、後輩
というか、かなり年齢は下の人からも学ぶと思います


実際、学ぶ対象って、年齢だとか、いろんなこと?性別だとか
その他、その人に関わることと、関係なくていいのだ
そのほうが自由でいいと、なるのですが、ほんと、目の前に
いたりすると、そういう人に関わることが、邪魔して
学べないということは多い、かなと思います


これ、先入観ということですね
こう見える人は、こうなんだ、みたいな
毎日街を歩いていたりして、見た目がとても、派手に見える
人をみたりすると、見た目を気にしすぎて、おそらくは
考えるとか浅いのだろうとか、自分でレッテルを貼って
しまいがちなこと、ありそうです


自分の存在価値について、誰かと比べるとか、誰かがなにかを
いったからとかで、気にしてしまうというのは、つまらないことです
そうなのですが、おそらくはまだいろんな経験が少ないうちは
そんなふうに自信を持てなくて、心無い人が、なにか自分を
批判したりすると、へなへなとその批判に、なってしまうような
ことも、ある程度は自然なことといっていい


学べるということが、貴重なことなんですね
特に他人から学べるという人は強いと思います
その、前提に、自分のことが安定してること。安定するためには
自分はどうなりたいのか、はっきりしてること、なんですね
自分がこうなりたい、長澤は人材育成のなにかで、人の役に立ちたい
そのために、学ぶのはものすごく自分にいいことだと、わかってる
だから、傾聴する。だから仲間を増やす


悪いプライドというのは、自分で自分の世間を狭くする
ということです。自分が知ってる、自分ができると思ってる
狭い世界で、なんとなく人より、優れてると思ってしまってる
自分。オープンな、開かれた状況だったら、今自分が優れてると
思えてることが、いかにちっぽけで、偏ってるかというのが
わかるのに、自分にはそれが見えない


ときどき、小説から、学ぶということもあります
本に書かれてることは、わかりやすく、読みやすい
ということがあります
もしかしたら、小説に導かれているというのも、人と
やりとりするのと、似ていて、貴重なことなんだと、思えて
うれしいですね