棟方志功

ちょっと、知り合いになった人に、棟方志功が好きですと
手紙に書きました。たまたまその知り合いになった人の縁の
ある場所に、棟方志功の作品があったことで、話題に
だしました


このブログに、ちょうど旅先で棟方志功に出会ったことを
何度か書いています
「神のみが知る」という、解説を旅先でみつけました
棟方志功は、自分の作品に責任がもてないと言ったと
その解説にあります。それは「無責任」ということでなく
人間のレベルでは責任が持てない、神のみがわかる世界だと
解説は続きます


確かに、近眼の棟方志功がすごい速さで、板を彫ります
不思議に見えます
このことを、自分なりの表現で、手紙のなかに書いてみました
棟方志功が神のレベルで、作品を作ってること。このことを
受け止めるヒントとして、スポーツ選手が「ゾーンにはいる」
というときがある、と、聞いたことがあるのを、例にだしました


普段の力よりぐーんと、力を発揮できてしまう、ゾーンにはいった状態
火事場のバカ力といってもいいこと。これを、棟方志功
意識して、作品を作るときに、できていたのではないか
トランス状態といっていい、ところまで、自分を高めて、作品を
作っていたのではないか?


人間の可能性、人間のすごさって、ちょっとだけ考えたくらいでは
わからない、ものってあるように思います


アートの作品を見に行った時に、作品、絵なら絵のディテールのよさ
といったことを楽しめるときもありますが、どちらかといえば
その作品を生むに至った、その作家の生き方といったことに
興味がいく、自分がいます


できれば、アートに向き合って、生きたその生き方に近づくような
なにかがしたいと、思ったりします


棟方志功のゾーンにはいる、ということがほんとにそうなら
一瞬でいい、そうした状態を自分で作るって、すごくしてみたいと
思ったりします


まずは心のやわらかさ、ということを、思います
受け止められる、心の状態をキープしたいのですね


アートに親しむようになって、作品が作家の生き方といったことを
ひきよせ、また作家にあこがれた、別の作家に、興味がもてる
ようになること、なかなか楽しいことです


実際、作家の人は、棟方志功がそうしたと同じとは言いませんが
なにかしらで、自分が集中して作品に向かうということを
してる、とも、言えそうと、この文章を書きながら、感じます
たとえば、風景をスケッチするという一番、基本みたいな行動に
しても、そうじゃないでしょうか
まえに、スケッチというのは、目と手の最高のパフォーマンスだと
いうような、記述を読んだ記憶があります
そう、スケッチでのひとつの線を描いてるその瞬間って
大事な瞬間とも言えそうです


一本の線。その線を引いた自分の集中度
それが愛おしいみたいな、こと、ちょっとだけ知る機会があって
よかった。そうした気持ちを、持っていたいなと
思います