思い出のマーニーを読む

思い出のマーニー ジョーン・G・ロビンソン
という作品がとても好きです


主人公、十代前半、の、孤独と再生の物語と
言っていいと思います


最近好きになった、小川糸にもあることだと認識するのですが
再生の物語、ということ、ここに「救い」があるのだと
認識します


こうした再生の物語というのは、今の時代の生きづらさ
ということを、やわらげてくれるとも見えます
それだけ、生きづらさが、大きいとも言えます


先日、ある人から質問されて、自分が十代だったころと
いまとなにがちがうのかと、問われました
それは、と、答えたのが、私が十代の、昭和40年代、50年代
というのはおそらく相当数の人がこれから世の中、そして
そこで生きてる自分を含め、豊かになっていくと信じることが
できたこと、と、伝えました


それでは、今は?
なかなか信じるのが難しいといっていいのではないでしょうか


そのときも、テレビがあって、いろんなことを知ったといっていい
外国の豊かさということも知ったといっていい
日本はまだまだ、相対的に貧しかったということもあります


思い出のマーニー
主人公は、なかなかまわりの人に心が開けない
孤独のなかにいる、孤独から自分ででられないような、そういう
設定です
転地療法を勧められ、そこで出会う、不思議な少女と仲良くなり
そして、アクシデントから別れ、憎しみ、また不思議なことから
許すことができるということまでを書いています


許すことができる
これがほんとに大事なポイントだと思います


無理くり、小川糸の世界につなげてみれば
ツバキ屋文具店シリーズの主人公の鳩子は、自分が子育てをする
という過程で、かつて、きびしく育てられ、反発、憎しみも感じた
祖母との関係を見直し、祖母との、疑似親子の関係を肯定する
つまり、相手を広い意味で許し、そのときの自分も許すことが
できると、読んでもいいのだと思うのです


生きていくというのは、大変です
認識の原点として、許すことができる。そのことはあっていいこと
なんだと、認めるということ
こうしたことから、はじめるのが、ひとつの基本形といっていい
生き方とも言えそうな気がします


生きていくのは大変です
いま、自分が育った昭和よりいいことといえば、人間の多様性を認めよう
という世の中の流れ、ということもひとつ言えると思います
ひとりひとりの、個性を重んじる
これ大事と同時に大変なんですが、ひとりひとりのことをもっと尊重しよう
という態度


こういうことから、個性が育ち、いろんな分野で活躍する人をだす
ということがありそうです


個性は重んじられるということ、大事
それと同時に、社会力といっていい、人とつながる力もつけていきた
そんなふうに、思うのです