こんな話、あんな話・・・

親しい人と、家族の話をするのは、とてもうれしいことですね
高校時代の仲間と読書会、を、何度かしています
そんななか、「家族」という話題で、盛り上がったことがありました
自分の子供の話。自分と似てる子ども、自分とはちがってみえる
子ども。
夫婦でのあれこれ。意思決定するときの葛藤とか
相手を受け入れてるよさ、相手のことが、うまく理解できないときの
感覚など


読書会という、やり方も、親しくなれるし、いろんな話題で
話せるということで、なかなか得難い、機会だといえると
感じます


読書会のやり方を少しなぞって、わが社の会議にとりいれたりも
しています
それは、共通のインプット、事案、考え方を読んで、それへの
見解を言ってみるということがそのやり方です


会議である意見を言うということ
いつも思うことは、意見なり、言う、その言葉について
人にはそれぞれ、言葉に対する背景といったものがあって、当然ながら
その人の今までの生きてきた道筋によって、その背景というのは
ずれ、があるのですね
そうなると、意見そのものを、しっかりそのいった人の意図に
沿って受け止めるって、微妙なニュアンスまでいれるとすれば
結構難しいのですよ


それを補うという意味で、共通のインプットがあったうえで
意見交換というと、だいぶ、そのやりとりが、くっきりしてくるという
ことを、何度か経験しています


会社において、意思決定なりするときに
十分、意見交換なりされてることって、ものすごく大事ですね
そうなのですが、レベル感、ちょっとしたニュアンスを含めて
その感覚を知っておくといった、ていねいな対応をしたいというときに
意見を言うということ、相手にしっかり伝わるようにやるというのは
そうしたなんども、意見交換してること、さらには、リアルタイムで
事象をいっしょにとらえてみる。仕事しながら、その解決策など
考えてみるといったことが必要と思えてきます


たとえば、親しくしてる人と、リラックスした場面で
なにかしら、話してる。それは、仕事の場ではないですから
なにかしら、ずれなりがあっても、困るといったことはない
ですが、やっぱり興味がわいたりすれば、もっと深く知りたくなる


仕事上のつながりがなくて、親しい、つまりプライベートの
たとえば、趣味の世界だけでつながってる、学生時代の流れで
つながってる(だけ)の相手。そういう相手と話していて
そうだけど、もうちょっと話を深いところでしたい
そうしたとき、どうするか?


ひとつの方法としては、やっぱり想像力を働かせてこうなのではと
やって、話をつなげるのでしょう


プライベートにおける、いろんな話も楽しめる
ときにはずれていてもいい。うまく話をつなげるのは、いろんな
意味でのストライクゾーンをひろくとっておくということに
なりますか


家族の話、自分の好きなものの話
できれば、ないかしら、粉飾するのでなく、ありのままの
自分をそのまま、さらけだす、そんなことができる、場ばいいし
そういう相手がいるというのは、人生の宝物といっていいのでは
ないでしょうか