相手を仲間と思うとき

仲間だったら、相手のことを気にするね
そう、まずは気にするということがありそうです
チームビルディングということを、社内でよくいいます
チーム、人と人がつながってること、を、まず思います


仲間になるということが、どうも下手なんじゃないか
そういうことを、くりかえし思います
社会として、プライバシーが重視され、相手の気持ちだったり
おそらくご本人が、思ってる、大事なゾーンには
ふれない、という方向が、進んでるのは、もちろん
知ってるつもりです


ですが、東日本大震災をへて、そうした、つながりがうすいということが
しんどいのだ、と、気づいた人も多いと聞きます
つながっていない、そうなれば、まさに災害のとき、危険が増す
また、困ったときに、助けてくれる機会が減るのです


都会に住んでいて、日常で「困ったこと」ないですよ
と言いたい人はいるかもしれません。いいえ自分自身だって
災害のような、困ったことは、日々のなかでは確かに忘れてる
ということはあります
ですが・・・


例えば、学びということを、主体的にしようとすれば
すぐ気づくこと
つながりが少なければ、学ぶ機会は減ってしまいます


京大の山際先生の言葉
「人間は、他人とやりとりすることで、学ぶ」


このこと、ほんとにそうだなと思います


仲間になるということ。相手にとって、耳が痛いと
思うことも、あえて、伝えるという気持ちがあること


人間はまちがいをするし、気づいていないで、本人が望んでる
方向と別のことをやっているってことは、あるのだろうと
思います
若いうちなら、まず「迷う」ということが多いと想像します


そういうとき、仮にしんどいかもしれないけど、「あるべき姿」って
こうじゃないか
そういうことを仲間だから、伝える
こうしたこと、何度か経験があって、それは「痛い」のですが
「良薬は口に苦し」の言葉があるように
すごく大切な、ことだと思い出すことができます


生きていくというのは、ときにしんどいことも
やっていかなければ、うまくいきませんね
それを、ひとりぼっちで、乗り越えるのは本当に大変です
仲間とつながってる、そういう感覚のなかで、乗り越える
これが、思う、やってほしいことになります


生きていく、たとえば、働いて、対価を得る
これは、プロとして、相手がなるほどと思うからなりたつ
ということを、覚えておきたいものです