手紙

手紙が好きです

旅先で、その旅で出会った風景だとか
ちょっと、いいなという見たもの、感じたことを
添えて、ひとこと、「また、会おうね」という
はがきをよく書きます


それは、ある自分が感じたことを、仲のいい友人と
共有する(もちろん、手紙で一方的に送るから共有といって
いいかは、あるのですが)という楽しみといっていいこと
と感じます


勝手、じゃん、といえばそうなのですが
手紙を書きながら、親しい友人のことを思い出し
その友人に、こんなことを感じたよと伝えてみる


信州にいっての、風景の楽しみといえば、マウンテンビューという
ことですね。「北アルプス」が展望できる、丘は、すでに7つ以上
お気に入りがあります
そうしたところで、見た山の姿
これを、ひとことにして、伝えます


アルプスをみて、深呼吸・・・


深呼吸というのも、実際都会で生きていると、忘れてる行為
という感じがしませんか?


手紙が好きです
たとえば、メールとかチャットツールとか、なるだけ早く
返事するということが、そのツールの性格上、あるのを、知っています
そのためのツールといっていい
つまり、見たらなるだけ早く返そうという気持ちになる


手紙は、もちろんプライベートなところだからという
ことが入るわけですが、いつ読んでもいいし、もちろん数日ときには
数週間だってあとからの返事でいい。いいえしばらくしなくてもいい


そうした、自由さというか、どういうふうにあなたが扱っても
いいよ、という感覚があります


今年、やっと感染症のこわさが、少し減った(完全になくなった
わけではないのは、気を付けたいことです)ということで
友人と会う、機会を増やし始めています


手紙で、ゆるくつながっていた、そういう人とリアルに
会って、お互いの無事を確かめ合い、また会おうとやる
すごく貴重なことだと思いました


歳を重ねて、わかること
長いつきあいだからいい、という感覚の付き合い方
というのが、できる、わかるということがあります


長く、友人でいると、その友人の「味」というのが
しみてくる、そんな感じがわかってきます


若いときというのは、誰しも不安があるし、自分はこれから
どう生きるといった、漠然としたものもあれば
異性にどう見えるかだとか、就職をどうするかとか
短い時間で、なにかをしなくてはならないこともあります


ぼくらくらいの世代になると
仕事はおそらくは一段落という人が多い
そして、そこそこ付き合ってきた、家族も含め自分の
まわりに大事にしたい人がいる
そういうなかで、また友人との時間というのは
料理でいれば、スパイスのような、スポーツだったら
なんでしょう?自分の得意技の発揮?それとも
作戦タイム?
いずれにせよ、貴重で、いい、素敵なことに違いない


だから友人との時間、しっかり持ちたいよね