仏のまなざし

上野の東京芸術大学に、興福寺、仏頭展を見に行く


http://butto.exhn.jp/


相田みつをの詩に
この仏頭をみて、息子よこんな顔に育ってほしいというのが
あって、その詩だけ覚えていて、相田みつをかどうかは忘れていた
この仏頭の顔はいい
今回の展覧会、音声案内で知ったのだけど
仏頭を360度、ぐるりとみてまわることが
できる。これはなかなかないという


ご存じの方も多いでしょうが、15世紀にあった火事で、この仏様は、この仏頭以外
失われてる。仏頭にしても、頭の中心から後部が失われてる
けれど、このまなざしは、いい
まさに、いいわけをしない顔、いい顔だ
前向きだ


このブログに、運慶作の、伊豆、長岡、願成就寺にある阿弥陀如来像がある
このまなざしは、まさに母性と父性をかねそなえてるのではないかと、つぶやいて
いるのだけど、この阿弥陀如来は12世紀末、1189年とかで、↑の仏頭が
興福寺にはこばれたころであり、実際は7世紀後半に作られたというのだから
時代はちがう。けれど、顔は運慶などの作とは、もちろんちがうのだが
日本人くさいと思った


まえに父親から聞いた、知識で仏像は時代がさがると、日本人の顔に近くなる
という話、実は運慶、快慶が切り開いた、境地というか特に「目」の表現が
そう見えるということに、いつからか、気が付いた
写実的に、実に人間臭いのだけど、この仏頭はそうとはちがうのだけど
いろんな表情をこちらに、思わせる、深さを感じる


山田寺ということで、永井路子の「あかねさす」が思い出される
ちょうど、自分の10代のころ、1980年代だいと思う
山田寺が、発掘され、おおきなニュースとなったのだけど
このことを「あかねさす」は小説のなかでも、とりあげている
主人公が、山田寺の発掘現場にて、考古学にめざめていくという
描写がある
このあかねさすの主人公は、東京の出身だが、明日香がよくて
持統天皇がよくて、天武持統陵のすぐ近くになじみの民宿をもち
明日香を、くまなく歩き回る
そのまねをして、あわせて3度くらいだろうか、社会人になってから
自転車とかで、明日香をまわってみた


あかねさすのなかにでてくる、甘樫の丘に、蘇我の館があって
そのしたの見下ろせる場所、いまの飛鳥寺の近くに天皇の住まいを
伴う、都があったとすると、自ずと、蘇我天皇の力関係が
みえてくるという記述を、自分の足で確かめたりした


この飛鳥寺に、飛鳥大仏と呼ばれる、仏像がある。これまた深い
顔をしてるのだが、比べてみると上野でみた仏頭のほうが
なんて、明るく、前向きな感じがするか?
飛鳥寺のほうが、深くいわば、「さとり」といったものには
近いのかもしれないけど。


あかねさすから、山田寺であるとか持統天皇であるとか
わすれずにずっと、気持ちのなかに、10代や20代前半に親しんだ
いわば、なじみのある存在として、生き続けてる
そんな、仏頭だから、「また会いましたね」って気持ちもあって
ちょっと特別な、ホトケサマなのです