アートの世界

実は、アートなんてほんとに、縁の薄い世界だと
感じて20代まで生きてきたのです
そして、かみさんになる女性がアートが好き、美術館が
好きということで、美術館に足を向けるようになったことが
アートにふれる、きっかけになりました


ジョージア・オキーフという、アメリカで
かなり有名な画家の展覧会があったとき、いっしょに
いたかみさんより、自分が気に入って、いつまでも
見ていたいと思ったことなどを思い出す


絵は、自分が気に入って、いつまでも見ていたいとか
自分の手元におきたいかどうか、その一点でみれば
いいんだと、あるとき、気持ちが楽になった


アートについて、無知だから、なにか有名、高名なアーティストの
作品だと、なにかを感じない自分のほうが、申し訳ないというか
ダメなんじゃないかなんて、変な気の遣い方をしてしまう
自分がいたように思う


高級レストランにはいって、オーダーのしかたなどに
気を使って、本来楽しむべき料理なんて楽しめないというのに
似てるかもしれない


ジョージア・オキーフの花の絵などを、気に入った自分は
琳派だとか、長谷川等伯の、遠近法を超えたといったらいいのか
花そのものを、アピールするような絵が好きなんだなと
改めて思う。先日もニューヨークメトロポリタン美術館にある
鈴木其一の、朝顔図をテレビで見て、ぜひ、リアルに見たいと
思った。ジョージア・オキーフが好きな人は、きっと、いいと
感じるように思った


たいへんしばらくぶりに会った人と、少しアートの話をした
アートについて、個別の作品、作家が好きだとかそうでもない
という話になると、やっぱり、ぴったり合う人なんて
なかなか、いないわけで、意見が分かれるのが普通だろう
たまたま、その人は佐藤忠良さんについて、かなり思い入れを
持って、好きなようで、そういう共通な作家なりがいると
安心になったりする。
思えば、人となにかを語るとき、なにかしら、共通の話題を
もてるということが、とても安心して話せるポイントだと
思い至る


心と心にパイプができる状態があると思ってる
それがすばらしく、いい状態がラポールといっていいか?


http://d.hatena.ne.jp/tetsuya556/20121220/1355953761


このラポールの状態になれれば、とてもいい、進化させられる
状態でいろんなことができると思う
このラポールの状態を作れる、第一歩が、なにか共通の話題をもち
共通の話題、さらにいいのは、↑の例のように、ある人を
いっしょに尊敬できる対象として、持つということに
なるようにも思う


いろんな、ビッグな存在の先生をしたって、人が集まるのは
理屈ぬきで、上記に書いた道筋が、ビッグな存在といっしょに
いるとできやすいということも、きっとあるのだと
気が付いた。


アートな世界、ある作家の記念館などに行くと、そうした
ビッグな存在の足跡が感じられて、またその足跡を追ってる人が
まさに、ビッグな存在の恩恵というか、人の縁をつなげることが
できて、人生のおおきな、なにか「気づき」につなげたという
エピソードに出会うことがある
そうした、エピソードなどは、出会えると、ほんとにうれしい
ほんとうに、世界が広がった感じがする
だから、またアートにまつわる、世界にふれたくなる
それも、また、本来アートに接することの、素晴らしさのひとつと
言っていいと、感じ始めた