コミュニティがあるといいな

昨年秋に、奈良県桜井市にある、安倍文殊院で、お坊様が
話してくれたことを思い出します


「今の世の中、おかしいでしょ。天変地異、親殺し、子殺し・・・
どうかしてる。人々はそんな恐ろしい、そしてやりきれない思いを
どこにももっていきようがない」


その話を思い出すとき、今の生きてる環境は、異常なんだと
思うことを、改めてします


コミュニティが、少なくとも自然にという意味ではなくなってます
子どもを育ててる、そのときに、近所の人(どこまでが近所でしょうね)
その子供に接しませんね。ましてしかったりはしないと思います
そういう場所で、子供ははたして、育つでしょうか


人間は社会とつながってないと、生きていけないと思います
少し前、テレビの番組で、スイスのアルプスで育つ子供の
様子をやっていました。そのなかで、親が子どもに「アルプ力」
(造語ですね)がつくということ、これはとても大事と思ってる
という言い方をしました


アルプスでの暮らしは地域と、家族とつながってないと
なりたちません、子供たちは牛の世話をし、道を治して
チーズ作りを親といっしょにします
とても、大変ですね。でも、こうした暮らしをみんなで
力をあわせてやるということを、通して、人と人がいっしょに
ものごとを作っていく、大切さにつちえ、学べます
こういうことと、日本のいまの暮らしを対比すると
楽すぎるということは、どうなんだろうと思います


日本の都会、コミュニティはない。親は子ともに
勉強以外の事で向き合わない。コンビニで買える食事で
すます、普段の食事。


どうも、ちょっと前、いいえ数十年まえまで、コミュニティが
まだあって、子供を育てるというときにも、いまでいう、年老いた
人の介護というときにも、コミュニティがいろんな意味で
助けであり、逃げ場であり、ちょっとのあいだだったら
まわりの人が気をつかってくれるなかで、いろんなことを
していた


もちろんのこと、そうしたコミュニティのなかで住んでいれば
いろんなしがらみはついてまわる。ただ、「安心」という
意味では、やはりすごく、ほしくなるコミュニティの存在です


そんなわけで、コミュニティがほしくなっています
いきなりは無理でも、いっしょに住んでるマンションの
人と、少しずつ、自然につながっていくことを
望みます


コミュニティ、自然とというのは、無理でも
自分から、自分で少しずつ、つながっていくこと
それしかないですね