見ること 聞くこと

人といっしょに、なにかする、そういうときに
見ること、聞くことが大切だと、思います


人と話して、お互いなにを、感じてる、考えてる
ということを、理解しあう。そういう過程って
いっしょになにかをするのには、とても、大切ですね


理解する、というところには、ある意味、「尊敬」が含まれる
ということも、あるんじゃないかって、思います
このことを、よく知っていて、自分でもっと、理解したい
そして、そのよさを、自分のなかにいれたい、そういう
行動をしてる、それは素晴らしい、自分もそうありたい
そういった、尊敬、あこがれといったことが
「深く、理解する」ということには、入ってるように
思うのです


河井寛治郎が、濱田庄司に案内され、柳宗悦の家に行った
ときの、話が好きです
朝鮮でみつけたという、白磁の壺があり、そのあまりのよさに
河井寛治郎が、見て、うなったというのですね
こんなに、いい壺を、理解、好きになるそういう人は
素晴らしい人にちがいない。言葉でかけば、ちょっと
軽い感じがするのですが、その壺により、河井寛治郎は
柳宗悦の、人となりを、受け取ったというか、受け入れた


ここにも、尊敬ということがはいると思うのです
河井寛治郎と、柳宗悦はその後、深いつきあいをします
お互いの家を行き来するのも、もちろん、民藝という活動を
通して、いろんな人と交流、ときに支援して、日本の
文化の活発化に、足跡を残したといっていいのでは
ないかと感じます


壺を見る、そのことから、心が通じたという話
いい話です


見る、聞くということが、スタートです
自分の心と、相手の心が響きあう、そういう瞬間があることを
知ってほしいと思います


大事なことは、人がもってるものです
情報しかり、そして、「思い」でしょう


アートと向き合う人と、話をすると、自分の感じたことを
伝えたい、そのことに、人生をかけて、やってるということに
本当に、気持ちがふるえるような感覚になることがあります


自分の思う、美の世界を伝えたい
その一点に生きる
その純粋さにひかれます


あなたは、どう生きるんですかと
相手は聞いてはこないです
けれど、そう感じる、緊張感の一瞬。


私はどう生きたらいいでしょう
一瞬、とまどう、そして、やっぱり
人を育てることに、集中したいと、感じるのです