アルプスの少女ハイジから

もう何年か前ですが、ヨーロッパ、アルプスで暮らす
家族のドキュメントをテレビでみました
そこの暮らしは、とても、体力もいるし、自然とのいろんな
対話、ともいえるし、戦いともいえる、厳しいものが
でてきました
子供たちも、当然のように暮らすことに、いろいろします
牛の世話、放牧、道なおし、水汲み。大変です
ただ、母親はいいます。ここでの暮らしでは
アルプ力が身に付きます。町では決して身に着けることが
できない、生きる力ですと。


アルプスの少女ハイジをみていて、ハイジが自然の怖さ
動物たちとの交流、ときどきやりとりする、人との交流
そうしたことを、覚えて、自然と共生するように生きていく
これは、まさにアルプ力といっていいことでは
ないか?と感じます
日本でも、「里山」の暮らしの貴重なことを、思い出してみよう
という試みがあるのを、何回かみたことあります
畑があって、作物を自分で育てて、とれたてを食べる
作物を作るのは、簡単ではないかもしれないけど
買って食べるのでは、わからない、自然の素晴らしさ
そして、怖さ、そうしたことを、感じながら生きるという
生き方


都会での生活は、お金を使うということで
成り立ちます。そういう生活をしてる自分がいうのは
少し、ずるいかもしれません。だけどそれでいいと
なるのではなくて、ちょっと立ち止まって
はたして、そういうことばかりでいいのかと、思ってみる
そういうことも、あっていいかとも、感じるのです


自然との対話。そういうことを、ほぼなるだけないように
してる、都会での暮らし。それはどうなのでしょう
自分の体も実は、自然のいろいろと、つながってることを
忘れる行為になるように、思えてくるのです


料理が好きで、旬のものを、時間をかけて料理して
いただくということを、すると、少し自然に近づく糸口が
見える感じがします
先日の、そば打ち、そばをこねるときの水加減、湿度だったり
そのときの、その日のことで、微妙な調節をすると聞きました
そういうことに、敏感でいたいなと、思いました


寒い季節です。暖房をいれればいいや、となると
やっぱり、貧しい発想になります。寒い季節は寒い季節に
しかできないことを、して、体を整え、やがてくる
春に向かって、準備もかねて、生きる


日本には、季節があって、その季節を感じ、季節を抱きながら
生きるのって、潤いのある感じがします
生きてることを、肯定できる、そういうことにつながる
そう、思います