つなげていくこと

学生のときに、仲良くしていた、仲間が「万葉集」が
好きだ、という話をしていました
そして、万葉集に歌われる、大和三山をこの目で
確かめたりする、そういうことが、好きだと
言いました


それから、何年かして、自分も「明日香」に行き
明日香のなかで、大和三山畝傍山、香具山、耳成山
甘樫丘から眺めたのです
そのときの、ガイドとなった本があります。
永井路子 「あかねさす」です
そのなかで、永井は、臣下であるはずの蘇我氏の館が
甘樫丘にあり、丘から見下ろすことができる場所に
天皇の家がある?これは、どう考えるか?と
「場所」を実際歩いてみての、歴史の検証ということを
教えてくれました


「明日香」への旅は、自分のなかの、なにかを
探す旅といってよいかもしれません。あれから
何度も行きました。そして、小説だったり、絵のなかに
書かれた、場所を、訪ねてみるということ、このことが
定番の旅の楽しみになったのです


東山魁夷はたいへん、好きな画家です
また、東山が書く、文章も素晴らしく、何度も
読み返しています
そのなかで、唐招提寺の御影堂の襖絵を描いた
その準備であり、その思いにふれて、とても
あこがれました


鑑真和上が、命をかけて、この日本に仏教の戒律を
教えるべく、渡ってきた。その気持ちに
応える、そうした絵にしたい。
日本中をスケッチしてまわったということ
それも、その絵に集中するために、他の仕事は
すべてことわって、やったということ


日本の美しさは、海と山だとして「山雲(さんうん)」
「濤声(とうせい)」という絵に、ぎゅっと凝縮させた
東山魁夷の、世界のすごさは、鑑真の思いを、自分のものとして
自分を、言ってみれば、画家人生のすべての注いで
その絵を完成させた、ということになると思います


つなげていくということ
鑑真が生きた、奈良時代から、現代へまさにつなげる
力をもつ、絵だと思うのです


古都を歩くと、ときどき、何百年、いいえ千年を超えて
そのとき、生きた人の言葉、息遣い、足音を聞く
思いがすることがあります


東山魁夷は、見ることも、聞くこともできるのだと
著書のなかで、言います


アーティストのそうした、感性。そのままは自分の
ものにできなくても、何十分の一でも、受け取ってみたい
そういう思いがいたします