対人援助

河合隼雄先生の著作を読んで、「対人援助」ということの
入門を学んだと、思ってるいる、自分がいます


カウンセリングの本なのですが、カウンセリングを行う人は
カウンセリングを受けたほうがいいと、書かれています
たとえば、想像する場面として、医者と自分ということを
想像しなさいとも、書かれています


医者と自分、医者に世話になるとき、対話するとき
どんなことを、思いますか?
知識であり、いろんな権威をもったあれこれといったことは
圧倒的に医者がもってるわけですね
だから、その対象の病気の話になったとき、話を受ける側の
自分は「カン」しかない。だって、知識をもっていれば
その知識で対抗できるかもしれない。だけどその点では
相手が圧倒的なわけです


だから、カンを研ぎ澄ますのですと、言います


翻って、カウンセリングをする側、受ける側で言って
似てる場面があると、指摘されています
受ける側は、カンを研ぎ澄ませている
だからそのカンは相当なものです。


不登校の学生に対しているとき、今度先生を
なぐってやろうと思うと受ける側が言う
カウンセラーは、受け止めた、ああ、あなたはなぐりたいのか
などといって、実は心のうちでなぐらないでくれ・・・
そう思ってる・・・そういうことを、カンでわかるのだ・・・


カウンセリングじゃないかもしれないですが
上司の立場で、若い社員になにか言わなくてはならないとき
たとえば、それが相手に、辛口の、なにか、お説教も含み
言う場面。実は上司のほうも、緊張してるものです
緊張しないとなれば、社員に対する、慮る気持ちが足らない
とも言えるし、緊張してしまうと、相手にそのことは
伝わるもの


そして、お説教なんてまさにそうですが、相手にしたら
聞きたくない、苦言といったことがはじまったら
「早く終わらないかな」これが本音。
なかなか、自分の気持ちをそのまま、言うなんてところに
行かないってことが、多いのですよ


さて、ごく最近、医者と自分の、知識の差、であり
そして、そのとき、私がかかってる医者が、たぶん「対人援助」
といったこと、カウンセリングそのものかも
しれないですが、そうしたことに興味がある、だから
相手のとの信頼関係構築といったことに、力を注いでるのだろう
という場面に出会いました


医者は、恐縮な顔をして、前回、あなたのいわんとすることを
さえぎって、私は決めつけることのようなことを
言ったように、思い出す「。悪かったと思ってます・・・


あれ、このお医者さん、私の気持ちの添おうとしてくれてるのだ
そう思うことで、気持ちが温かくなり
また、対人援助ということを、学び、実践する、言ってみれば
同志のような気持ちがして、うれしかったのです


次回ぜひ、そのことを、伝えてみたいと思いました


対人援助、だったり、自分が本気で取り組んでることに
あ、この人、仲間だと、思える人に出会えるというのは
本当にうれしいことですね
ありがとうございます