古い友人

古い友達と、ひと時を過ごすのは、うれしいものです
ひとつめは、「思い出す」ということが、心に
とても、いいのです。心のマッサージともいっていいかな
と思うほどです


この1年くらい、「過去は変えられる」ということに、ちょっと
気持ちがいきます。過去は変わらない、と、あたりまえのように
思ってきたのですが、自分の記憶という意味で、ある過去の
記憶がこんな、印象で、こんな色彩で、自分のなかにある
それが、いま起こってること、これからの出来事により
その印象だったり、色彩が変わるのではないか?


「マチネの終わりに」 平野啓一郎のなかで、主人公に
平野は言わせます。「フーガ」という音楽の楽しみ方は
最初聞いた、フーガのなかの主題のフレーズが後の展開を聞いてから
もう一度聞くと、変わる。その印象が変わることこそ、目指してる
ともいえる。と、書きます


冒頭に書いた、思い出すのが、心のマッサージということ
これ、ちょっと、嫌らしい書き方をすれば、自分で都合のいいように
過去の印象を変えてる、のかもしれません
そうしたことを、ついつい、人間はしている。でもだから、つらい
ひどい、経験も溶かして、生きていけるとも言えます
経験から、学ぶという意味では、最初の印象、ひどく、思い出すのは
つらいかもしれないけど、そのひどさ、悲しさがあったり、怒りが
こみあげてきたり、そういうことも、覚えていて、のほうがいいことも
あるのかもしれません


人間は、感情で生きてるということがあります
自分だって、うれしいことが増えるように、生きるのは事実です
なにか、悪い感情でなく、いい感情、できれば、自分、家族のみ
ならず、他人も幸せになるような、そういう視点からはじまる
感情をもっていたい。壮大な話になりますが、人間愛といっていい
そういう、心意気で生きていきたい


古い友達と、話しました
話していて、ほんとに、心のぎざぎざが、溶けるなと思うのは
今書いたような、心意気というレベルで、一致するものが見える
そういうことかもしれません


若い人を育てることを、ずっと、やっているし、そういう生き方を
まわりの人にもしてほしいと思います。その点に、全く一致はしなくても
なにか、他人の助けになるのはいいね、という気持ちがみられる
そんなことでいいと思っています


古い友達と、信州の話をしました。大糸線穂高駅から、東山つまり北アルプス
方面に、道をあがっていって、山麓線と呼ばれる、道路と交差するところが
ポイントになりました


その交差点の近くに、友達の親しくなった人がやってる、ガレットの店が
あり、その店を通り越して、山麓線をもう少し北上した(歩けるくらい)
ところに、十色屋というバッグなどを、売る店があって、親しいのだと
情報交換しました


あるドラマの、オフ会から親しくなった人が、信州にできて、それから
天文台だったり、レストランだったり、知ってる人がいる場所となった
という友人は、信州、安曇野のことを語るのが、とてもうれしそうでした


自分が好きになった場所だったり、こと、もの、だったりを、いっしょに
語れるというのも、うれしい時間です。
きっと、人間にはそうした、「共感」してることへの、響くなにかが
あって、響きあうと、いっそう、うれしくなる、というのは
普通なのだと思います


「蕎麦」の話、「山下大五郎」の話、「池田町立美術館」の話を
して、すっかり、お互いの情報交換に、満足もし、またやろうとなりました
自分にとって、ほんとに大切な、友人だと、実感して時間がたつのを
忘れました