演技すること

たとえば、人と話すというとき、ドラマの三角形が生じると
いいます。犠牲者、迫害者、救済者ということ。
とても面白いことです
そして、知らず知らずに、演じてる自分がいるとしたら
ときには、意識して、いい演者になって、その演じてることを
利用していこうということも、いかがでしょうか


演じるということは、たとえば、ロールプレイといったことで
ゲームに応用、またそのゲームを、仕事で、なにかを練習する
といったこと、に使われます
たいへん、よく使われるのは、接客ということがあります
お客様として、やってみる、受け付ける、店員としてやってみる
ということです
結構「学び」があります


このお客様と店員というとき、一つのコツは徹底してお客様は
お客様をやるということです。所詮、社内の練習なんだから
とかいって、店員のほうをおもんばかって、やりすぎないように
などとやっては、学びが減ります


自分はお客で、こういう要求がある。なぜ、店員はもたもたと
してるんだろう、と、演じてるその立場になりきることで
みえてくる、ほしいものがでてきます


ロールプレイもそうだし、「演じる」ということから
の、学びは、その役割に、ほんとにその気になる、演劇で
集中する、英語でconcentrationということがあって、ここを
崩さないということが、大事だと、なります


もっとも、役割によっては、崩さないでいられるのか?
といったこともあります、演劇とすれば、たとえば、相手に
ちょっと複雑な、思いをもっていたりします。その複雑な思い
というのを、共有しないと、ほんとに、集中はできない、とも
なりますから


話の軸をもどすとすれば、演じるということは、とても多くの
学びを呼びます。自分がドラマの三角形をやってると、気づく
そのことも、学びです。あれ、いつのまにか、誰かが迫害者に
なり、自分が救済者を演じてる・・・
救済者だった、自分が、犠牲者になっていく・・・


こうしたことが、意識できれば、やりすぎで、なにか不利益と
いったことにつながっていくということ、途中で気づいて
対策をなにかするといったことも、気づけるかもしれません


大学時代に、演劇に少しふれて、演劇の面白さ、演技する
ということの、奥の深さというのを、少しだけ、感じました


演じるということ、いろんな応用ができるということ
さらには、ドラマの三角形がまさにそうのように、知らず知らずと
演じてるという、一部分が日常に入り込むということも
知りました


そうした、面白さを、面白いと、感じながらなにかに
役立てる、そうしたスタンスを忘れないでいたいと思います