ファミリー

ちょっと、うれしいことがあった。今朝いつもの通勤路である鶴見の
ベルロードを歩いていると、「ファミリー」という作品が全員そろって
鎮座している


実はこれ、中村節子さんというかたの、ブロンズの作品で、もう何か月か
一部が壊されて、ちょっとさみしい姿だった。ファミリー、父親、母親に
兄、妹という項性で家族で憩うというような、感じなのだけど、母親が
連れ去られたという感じで、ひとりだけいなくなっていた。残った
三人はとてもさみしそうに見えていた


このところ、絆を求める人が多いという。地震があって人とつながっているという
ことを確かめたいという人が増えてると聞く。自由っていうこともしんどいことと
気付いた人が多いという
せんだって、音楽とお酒でつながろうという宿があると、ある記事を読んだ
トラジットタウンとか、コンカツなんていいうのも、根っこには、人と
つながっていたいということがあるようだ


ファミリーの作者の中村節子さんは、東京造形大学の出身だそうだ。佐藤忠良
さんの門下っていうことになる。横浜の伊勢佐木町で忠良さんの帽子シリーズだと
思う、女性像の作品がいいなと思ってから、何年たっただそうか
忠良さんの作品は、あれば必ず目で追う。琵琶湖のほとりにある、佐川美術館に
また忠良さんの作品を見て、さわってきたくなる


いわば、中村さんの作品も、忠良さんの作品も、なんという表現が適当か
いわば、ナチュラルな感じ。まさに家族が生きていくうえで
前を向こうというような、生き方、コンセプトだろうか
「こう見たい」「表現したい」「こう感じさせたい」といった
おしつけがましさがない。見たまま、感じたまま
生きたままを作品にしてると感じる


荻原碌山の「女」は自分の生きた証そのもの、ある女性を愛することについて
自分のすべてを注ぎ込むといった、気迫、火のような熱さといったこおを、見ている
うちに感じる。ブロンズ像だから、もちろん実際は熱かったりするわけではない
この象をつくったという碌山の生き方が目にちらつくような感じがして
そのエネネルギーが、伝わってくるということだろう


清水多嘉示の作る女性像は、見る人の心を、まるで海辺で、満ち潮が満ちてくるのを
感じるように、満たしてくれるように思う
かみさんは、見た人の心をおだやかにする作品といった


中村さんの作品をみて、思うのは、きっと中村さんは
家族を愛していて、その愛し方は、おだやかで、しなやかって
感じかな


なんにちても、毎日見る、ブロンズがさみしそうな姿でなくなって
とってもよかった
鶴見はいいところです