州之内徹と松山

昨年の秋、四国の松山を訪ねた
それは、焼き物を、器をめぐる旅であり
温泉を楽しむ旅。ちょっとだけ、正岡子規に近づいた


ちょうど10年まえくらいだと思う。州之内徹を読んでいた
ブログをはじめて、間もない頃、州之内徹のことを
思い出していた。松山は州之内徹の故郷ということ、
松山に行ったとき、忘れたわけではないのだけど、あまり
意識の中心に来なかった


州之内徹を生前知る人が、回想として書いた文章を
「絵のある一生」で読む
そのなかで、新潟と松山の対比を見る
松山は、州之内の表現だと、じゃらじゃらしてるのだそうだ
気候がいい。私なんぞは、いい意味でととらえるが
フレンドリーで、おうような正確な人がいるところ
新潟はその気候のきびしさからか、人がちがうという
対照的なのだという


実際、何人か、新潟の人、もしくは新潟に父母をもつ人が
私のごく身近にいるけれど、たしかに、しっかりしたというか
じゃらじゃらというより、なんという表現がいいかわからないが
ちょっと、固め、かめばかむほど、味がでるっていう感じが似合う


州之内徹は、佐藤哲三という画家の作品に導かれ
新潟に行くようになるという。新潟がとても好きになる
それは、結婚相手に自分にないところを求めるのに
似てるという言い方を誰かがしていた
佐藤哲三、長谷川りん二郎、田畑あきら子など
新潟につらなる画家、もしくは画家の作品に出会っていく


州之内コレクションを見に行こうと思って、ずいぶん時間がたつ
最初は、絵の話をかみさんとしたいと思って、なんらか
絵の解説などが、やさしく書いてある文章を読みたいと思って
手に取った、「気まぐれ美術館」 だんだん、なんどか読み返し
州之内徹が、銀座を拠点にしていたということもあいまって
州之内徹がしたことを、すこしだけ、まねたくなってる


一番は、美術館に行った時など、自分がその絵をほしいと思うか
手元においておきたいと思うかという、その一点で、見たらいいと
気持ちが楽になったこと
美術館は、なにかとても、すごいものを見せられていて、それが
自分が受け入れられないと、世間に背を向けているような気さえ
してきて・・・というのは、全然ちがって、というかいまの
私の感覚だと、そんなものはいらない感情で、まさに自分が
見て、いいと思うか、その一点でいいと、気持ちが自由になった


絵のある一生では、立場の話もでてきた
左翼思想に傾倒した州之内は、いろいろあって、投獄されたり、軍人に
なったりして、生き抜く。立場を変えてる
自分はなんなんだって、きっと思い悩む
思えば、ひとつの立場をつらぬいて、生き抜けるってことは
素晴らしいといっていいかもしれない
だから、絵に向かうとき、その絵が自分が好きかどうか、その一点だと
こだわったのかもしれない


好きかどうか
そうしたことを、純粋に思えたとき、絵をみるということについて
誰か、たとえば学者だとか批評家のなにかを、参考にするって
つまらないことだと、感じることができた


そうして、絵をみるというとき、楽しめるという気分が
でてきた
等伯を、安部龍太郎で読んで、まさに画家が、自然の一部を
一般人に、解説するようにその美しさを、教えてくれることがあるのと
似て、小説家は、ひとりの芸術家の生きざまを、すくいとって、一般人が
感じられる、受け入れやすいストーリィとして語って、その良さを
感じさせてくれるのかと、思った


州之内の、絵を見て、感じる心は、おそらく人間に対する心が
いっときから、洗練され、高みに到達したということに
他ならないと、感じる