あじさい

紫陽花の、花が色づきはじめています
おりしも、今日は、つゆのはじまり?かなという雨が
降ります


紫陽花は、梅雨に咲いてるイメージがあって、6月?の花?
いいえ、木によっては5月でも咲いています
その色づきはじめた、清楚な花のなんともいえぬ
美しさもいいです


20歳のころ、紫陽花に癒される思いをしたことがあります
ある日、なにか、いろんなことにやる気が起こらず
こんな日は、ひとりでぶらぶらと、歩いているのがいいかと
思って、ようは「サボリ」ですね。学校をでてから
住宅街を歩いていたのです


そうしたら、みかけた、紫陽花。一か所どころでは
ありません。紫陽花も相当人気があるとみえて、あちらこちらで
咲く、紫陽花


花に癒されるなんてことは、あんまりありませんでした
どちらかといえば、木に、森や林に癒されるということは
あるかなという感じ
でも、そのときは、紫陽花の花が見事でうれしかったのです


秋田県から青森県にまたがる、白神山地を、10年ほどまえでしょうか
歩いたことがあります。その水のゆたかな、ブナの森ということなんですけど
ずっと歩いてると、紫陽花の原種というか、園芸種のように
あの、色づいたガクがいっぱいのではなくて、それはまわりにある
花としては、地味なやつをたくさん見ました


確かに見て楽しむものとしては、見慣れている園芸種のほうが
絵にはなるでしょうけど、原生林に近いところに咲く、あじさいも
なかなか、いいものです


人間は、自分の都合で、植物をいじりすぎるのかもしれないですね
もちろん、植物だって、生きていくために、きれいな花をつけたり
においをだしたりしてるようですけどね


先日、SNSでつながってる、アメリカに住んでる友達の日記から
たんぽぽが、アメリカではやっかいものだという話を、見聞きしました
どんどん、ふえてしまうし、他の植物をしめだしてしまう、勢いだという
ことでした


植物も、生きているのだから、その種の繁栄をめざすという行為が
あるというのが、あって、しかるべきなのかもしれないですが
人間の感覚からすると、ある種ばかり、はびこってくると
「邪魔だ」となってくる。まあ、エゴかもしれないですね


今年は、まだ鎌倉にいって、あじさいをながめる機会を作れていません
もっとも、この時期の休日は大変混んでいるので、時間を選ぶとか
しないと、えらい人ごみにはまるということがあります


鎌倉の、あじさいで有名な寺にいかなくても、いくつかの寺では
あじさいが、たくさんの群生はみれなくても、いい感じで見れる
場所があります
花をめでる、育てた人の気持ちが伝わってくる感じがします


そんな場所で、深呼吸する
生きていて、ちょっと小休止して、また次の山に向かう
そういうことの、くりかえし。それは素敵なことですよ