自分で自分を高める、ために

4年前に中途入社してくれた、社員が
わが社は、社員の技術を身に着けたいという
意欲が低い、と、一刀両断の言葉を言ってくれました


これはものすごく、大事なことなのですが
自分も認めますが、技術を身に着けたい、そのために
自己啓発においての、学習をしようというのが
とても、意欲が低いのです


褒めて育てる
そういうことを、してきていて、ときどき
こうした、「目覚めなさい」であり
「危機感を持ちなさい」といった、言葉をもらうことが
あります


別の場面で、これは生え抜きであり、自他ともに
技術について、こだわっている社員が言った言葉
「強制されてやる勉強なんて、勉強(意味のある勉強)
にならない」とのこと


学ぶということの、本質に迫る言葉といっていいでしょう


技術ということを、会社の柱として、位置づけてる会社に
おいて、進んで自ら学習していく社員と、そうでない
社員が、分かれて、つまり、分断といったらいいか
一体感ということから、離れてしまうということが
あるようです


先日、テレビをみてると「アメリカは格差社会ですから」と
説明する人がいて、そう見える人は多いのだろうなと
思っていて、日本は、例えば、ここ30年という、自分が生きた
時間だけをとっても、相当アメリカナイズされたといっていいとも
見えますしね。そういう意味では、格差社会はいやだと思いながら
日本も、格差社会にむかって、ころげおちていく最中といって
いいかもしれません


努力する人と、努力がそんなにできない人
そこに、差があってもいい?でしょうか
同じ社員なのに、どうでしょう
理想は、ひとりひとり、刺激し合って、努力をさぼる人も
なんらか気づいて、ついていって、つまり努力もするようになって
分断ということが、起こらないなにかにいきつくこと
なのでしょう


はたして、理想は理想として、夢に終わるのか
いいえ、こんなふうな、理想を実現した、とできるのか
勝負どころ、は、近いとも思えてきました