「ピアノの前のカミュ夫人」 エドガー・ドガ
この作品をしばし、いいなーって眺めていたことを
覚えています
ビュールレ・コレクション展、新国立美術館でした
そのときの感覚に似てる、いいなーを思いました
昨日見に行った、東京都美術館、コートールド・コレクション展
「フォリー=ベルジェールのバー」 エドゥアール・マネ
これ、共通点があるなと思うのです
私が惹かれたのは、女性の表情です
まさに、こんなふうな表情の女性に私がひかれる
ということがあるのでしょうが、いきいき、リアル
だと思います
作家に注目してみると、マネもドガが印象派に
数えられることが多いですが、いわゆる印象派の
印象派らしいというより、少しその外側に
いる感覚があります
マネは、モネやルノアールより、少し年上
それゆえかわからないですが、印象派が評価される
ゆえとなってる、それまでの古典主義を超えることを
試すことをした、先頭をきっていたとも言えるし
お互い、刺激しあったことはあったのでしょうが
マネは明確に自分は印象派ではないと言ってるようです
ドガはその性格からかもしれないですが、やっぱり
印象派の画家から少し離れていたようです
そして、ふたりとも、ブルジョアの出身
そういうところが、似てる雰囲気を思います
さらに、今回とりあげた、ピアノの前のカミュ夫人
フォリー=ベルジェールのバー、いずれも都会の
洗練された、場所、あこがれてしまうような、姿を
見事に切り取ってる、と言えるとも思うのです
そのときの、いま、という瞬間、いまの都会の
美しさを象徴する、女性像、といったらいいでしょうか
そして、それはブルジョア出身、都会で遊ぶ
都会の美しさを愛した、ドガだったり、マネだから
描いた、絵なのではないかって、思うのです
ここらあたりが、ルノアールだったり、モネとは
ちがう視点があるといっていいような
その視点は、現代に通じて、都会のもつ
輝き、魅力を伝えてるような、気がしてくるのです
都会の魅力、社交だったり、夜の街の誘われるような
空気だったり、そういうものが、19世紀のパリには
あったと伝えてくれる、そういう存在のように
感じるのです