傾聴

今日、社員が集まる会議があって
そのなかで、傾聴するっていかに大事か
という話を何度目かでしようと思います


実際のところ、自分自身、傾聴するって本当によく
できてるの?と問われるとしたら、まだまだです
と答えます


いいえ、さぼってるつもりはないのです。自分を
レーニングして、傾聴できる自分にしてきている
現在進行形でそうしたことを、してる、と思います
ところが、やればやるほど、奥が深い。また相手は
もちろんなのですが、ひとりひとり、別の人間です
ゆえ、そうした個別性が強い
誰それはこうだったから、この人もこうだろうということが
基本はない。


いくつか、傾聴について、大事だということを
感じれる、場面を自分が経験して、大事だからこうしよう
ということは、覚えたり、できるようになった
ということはあります
ただ、最終的には人間がどう生きるかに、つながっていて
どこまでも、ゴールのみえない、坂道をあがっていく
ような感覚もあります


数年前に気づいたのは、傾聴する態度とかは
もちろん、トレーニングの必要もあるのですが、それにも
増して、自分といううつわに、相手の思いを受け取れる
キャパシティといったらいいか、大きさがあるのか?
ということなんですね
大きさも、そうでしょうけど、繊細さといったことも
そうですね。


ある人が、成長したい思いを持って、いろんなことをする
ここで、成長したいということを、相手が持っていて
くれると、その思いを共通なところの、橋渡し役として
話がつながっていくということもあるようです


自分のうつわを、大きくできるか?
これは、もうきりがない。けどやるしかないし
また、現在進行形で進んでるかどうか、ということが
やっぱりひとつの、キーポイントといっていいのでは
ないでしょうか


自分をトレーにングしていくときに、自分を客観視できるか
ということも、大きな要素として、存在し続ける
ということにも、気づきました
こういうふうに書いていると、生きることすべてに近いとも
感じます


さて、今日傾聴する話をするのですが
はたして、どう受け止めてくれるのか?また一歩ずつですが
進めたいです