友、に思う

いま、50代も半ばをすぎて、思うことです
若いということは、やっぱりひとつの病のように
あったんだなと、いったらいいでしょうか?


先日もごく最近、今年になってから、ちょこちょこ話すように
なった人と、若いときというのは、失敗するなんてことは
つゆほども、思わないですよね、と、笑って話したことが
ありました
言い換えれば、怖いということを、知り、だんだん、失敗を
恐れて、慎重になっていくということが、歳をとるということに
似てるのかもしれません
もっと、言えば、慎重になって、かつ、それでも、いろんなことに
チャレンジする気持ちが、十分ある状態でいたいなと、思います


友人、と、浮かびます
この歳になれば、いろんな人と関わりを持って、いますし、これからも
持つと思います
そうしたなか、なかなか、友人、心を開くことができて
お互い何度も、じっくり話したい、これからそういうことを
ぜひ、したい人だと、認め合う人。幸いなことにそういう人とも
何人か、会うことができました。


ですが、やっぱり親しくなっていくと、「あ、違うな」と
思ってしまうことも、多いのですね
人間、違う人間ですから、違いがあるのは、あたりまえ、です
だけど、生き方といったことが、大きなところでちがってしまってる
そうなると、いろんなことが、やっぱり話していても、ずれてきます
ずれがあって、いいときもあるのですが、上に話したような
何度も、会って、お互いの心を開きたいよね、そういう関係には
なかなか、ならないように思います


いっぱい期待して、ああ、この人とは、友人それも、特に心を
開いて話せる友人となれるな、などと、思って、あ、やっぱりちょっと
ちがった、なんてことは、いっぱいあって、ちょっと残念にも
思いますし、私がずいぶん、細かく求めすぎなんだなんて、思ったりします


若いとき。
慎重に思うということに、やっぱり慣れていませんね
だから、親しくなったと思うと、今から思えば、不用意に自分の気持ちを
そのまま、だしてしまったりします。相手にしたら、まだ玄関先にしか
自分としては招き入れてないのに、こんなふうに親し気にされると
少し、びっくりしちゃう・・・そういうことをずいぶん
してきたように、思います


若いとき
想像力が足らないということが、ずいぶんあるように思います
自分の行動を、相手が知る、それも相手が相手なら、この人は
こういう行動をとって、こちらになにを、期待するのかと、思うことが
あります。心配させてしまうわけです
「あいさつ」がそうです。いっしょにいて、楽しいひとときを、持ちましょう
それが、前提のあいさつ。そういうことが、わかる人に
あいさつができないということは、ちょっと寂しいことです
心がやわらかくない、とも、見えてしまう、そういう行動です


これも、ごく最近、似てる立場の人と、話していて
とても話しやすいこと、また似てる立場で、似てる観点について
意見交換して、違いや共通点を楽しむことができました


これは、上に何度か書いた、自分をいわば、「さらして」みる、友人とは
違うのですが、ある、スポットをあてた、先をいっしょにみてる
ような、そういう、仲間ともいえる、つながり方を感じます


実は、心を開くとか、思いをさらす、とかそういうことは
とっておいて、ある部分を、いっしょに見る、そして意見交換できる
そういう仲間を増やすこと、それが、いい、感じのおつきあいかも
しれないです