ギャップを感じて

なぜ、あいさつをしなくては、いけないんですか?
こう、ずっとうえ、一回り半も年上の先輩に言った
という社員、そうした報告を聞いて、びっくりもし
どう対応しようと、困りました


地域のコミュニティが、希薄になり、家庭においての
しつけ、小学校、中学校、そして高校、大学においても
人間と人間が、いっしょにいるときの、マナーの大切さ
そういうことを、教える場がないということが
言われて、久しいです
これは、私自身、いま50代の後半ですが、そう三十数年前
自分が社会人になったときに、「おまえたちは、先輩を
先輩とも思っていない」「敬語を知らない」などと
さんざ、毒づかれたのです


しかしながら、いま、世代のギャップを感じてる、冒頭に
書いた、あいさつはなぜ、みたいなことは、だんだん
そうした、ギャップ、であり、伝わらないという感覚は
どんどん広がり、ひどくなってると思ったほうが
いいようです


日本人は、相手の考えてることを、察するということは
普通だ、などと、例えば、欧米との文化の違いの本などに
でてくるのですが、そんなことはもうなくて、いいとも
思えないですが、相手のことを、慮る、察するなんてことは
いまの世代には、??なのかとも思ったりします


もちろん、こうして「嘆いてる」だけでいいとなんて
思っていなくて、そういう相手でも伝わるなにかをしようと
試行錯誤はします
「会社」は守ってもらう、ルールだったり、やってもらう仕事
そして、その仕事をするときの狙い、社長の思いがあって
そのことが伝わっていかなければ、やはり、「いい会社」とは
ならない。そう思うからです


どうやっているのか?
どうやら、若い人にも、私にも共通の思いは、「誰かの役にたちたい」
なのだと、気が付きました
兄弟もとても少なく、地域コミュニティが希薄、場合によっては
(地域コミュニティを)感じたことがない、となると
誰かのために、なにかしたということが、極端に少ないのですね


どうも、私自身育った場所は、「下町」の風情がまだ残っていたから
でしょうか、近所のおじさんに、しかられたこともあるし
毎日、家の外にでれば、誰かした歳の近い子供がいて、遊び相手には
困りませんでした。


そういうなかだと、たとえば、けんか、ですね
けんかするのは、子供だったら、普通なのですよ
だけど、上級生の子供が見守り、「素手でやれ」とか
「目とかをやるな」といった、けんかの仕方というのを
覚えさせてくれました
そうした、身体で覚える、人間関係の最初があって、子供時代が
健全に育っていくように思うのですが、そうしたことがないと
なると、どうなるのでしょうね


誰かの役に立ちたい
そうした思いから、人に教えることの、大切さ、楽しさ
そして、なにより、教えるということは自分自身に役に立つのだ
といったことを、伝えていきます
その点から、接点を作ろうとしています


やってもらうと、教えるということが、うまい人が
いることが、わかったりします
また、教えてもらう、「キャッチャー」としてうまい
人もいます
学びあうということにつながっていきます


いままで、3回ほど、私が企画して、一泊二日で、テーマを
「人に伝えること」として、研修をやります
なにか、ひとつのかたまりの事実を伝える。そのニュアンス
背景といったことを、できる限り、正確に
これ、実際やってみるとわかりますが、結構とレーニングが
必要です。伝わるということが、大事なんです
言いっぱなし、では、意味がほんとに少ない


誰かの役に立ちたい。これは大事なキーワードです