2022年秋における、交流の仕方

海外にいる、大切な人、仲間から日本に一時帰国する
という話を頂戴しました
こうして、状況が良ければ、仲間が集まり、旧交をあたためる
これはほんとうに、素敵な素晴らしいことだと思います
だけど、感染症のせいで、そうそう簡単にはいきません


このことだけ、思ってみても、いかに感染症のあれこれが
「異常な」状態を作り、私たちの、生活であり、心を痛めつけてるか
そういうことを、思います


そう書くと、やっぱり痛めつけられてる、だからといって
それで、やられっぱなしにはならないぞ、と、思うのです


自分自身でやってること。それは友人のつながる手段として
アナログですが、手紙を書くことです


SNSにしても、まして、メールにしても、なかなか心を
伝えるって、難しい。そして一番は電話だったりするのですが
相手がその話を受け取るタイミングとしていいかどうかを
無視して、連絡とるということになります


アナログで、手紙のいいところは、指名であなたに書きました
ということが、伝わること、そして相手の読みたいときに
読んでください、という柔軟性、ゆるさがある、ということに
なると思います


何人か、手紙をやりとりして、うれしいなという友人が
います。もしかしたら、面と向かってより、うまく伝わる
ということもあるかもしれません


さて、話はもどって、こうした感染症があるという場面で
どう人とつながるのか?オンラインでの会議、打合せ
そして、飲み会ですね
仲のいい、また、なにか課題とかっても、だいたい同じ方向で
解決しようと一致してる人と、やるのは、会議にしても、飲み会に
しても、だいたいできるということがわかってきました


一方、方向の定まらない状態で、やる会議にはやっぱり向かない
ということもありそうです
だいたい、人間関係がぎくしゃくしてるところで、オンラインの
会議をやると、なおさら、ぎくしゃくするということが
ありそうなのです


こんなふうに思うと、自分の好き嫌いを、どこかにまぜて、
仕事しちゃうということも、でてきそうで、いやらしいのです


日本人は、なにか人と仕事したり、人と関わることで、ずれとか
問題とか起こると、話し合って、ときには、飲んで、まあまあとか
いって、折り合えるところをみつけて、やっていくということが
うまかったとも、言えそうです


ところが、問題が起こっても、放置するということになっていませんか?
いままで、解決の仕方が、飲みにケーションに近いことやっていて
ぶつかりあってやるということを、やらなかったから?方法が
わからない?


いいえそんなに、単純でもないと思うのですが、
今、たいへんなときだから、できるときにやろうといった
あいまいさの中で、やってることも、多いように思えて
ちょっといやらしいですね


ビジネスを止めるということは、普通はできないので
なにか、対処療法でも、物事がまわるようにやってるということも
大事なことです