旅の話

学生時代からの友人が、奈良、明日香が好きだと
言いました。明日香、甘樫丘から、大和三山をみるのが
好きだといいました
そこから、そのときに読んだ小説、永井路子「茜指す」に
やっぱり、明日香がでてきて、甘樫丘がでるのです
永井は、小説のなかで、蘇我の館が甘樫丘にあった。そして
その下に御所があるという、記述がある・・・これ
臣下であるはずの、蘇我氏天皇を見下ろす位置に館をもつ
なぜだろうと、続きます


旅は、小説だとか、絵の題材になったところを、追いかける
ということが、自分のなかに、あります
それは、明日香からはじまったといっていいです


ただ、そうそう都合よく、見たいなにかが、旅のときに
みつかるかということもあります
「うつさ」を追いかけて、うつわの里に行きます
金沢で、みてるとき、ふと思ったのは、金沢は
実際、伝統を守るという意味では、続けてる、
続いてる場所ではないか?
ということ


楽焼という、京都のやきものがありますが、そこから
別れた、大樋長左衛門窯をみたときに、思ったのです


いいえ、これは、金沢という土地がそうさせたのではなく
この窯元のやり方がそうだったということになるかもしれません
楽焼は、というと、どんどん変化していくなか、この窯元は
ずっと、同じ作り方をしてると、見えたのです


うつわを追いかけていったら、たまたま、そうした、なにか
歴史であるとか、ある人物の足跡がみえてきて、よかった
ということになります


アーティストだったり、その作品ということ、に直接ではない
ですが、うつわ、が「触媒」として、旅先で、自分の感性に
つながるなにかに、出会わせてくれたといっていいかも
しれません


旅をするのは、ただ、「旅する」ことが目的でいいという
話を、誰かがいい、そうだとも思うのです。ただ、こうして
旅をふりかえり、また旅にでたいというときに、なにかしらの
道しるべはほしいですね
それが、アーティストはじめ、だれかの足跡でいいとも思うのです


これまた、古い友人の話
その友人、Sさんとお酒を飲むと、旅の話をします
そして、まったく同じ光景を頭に思い浮かべることはできない
のですが、お互い頭のなかで、補い合って、旅で出会った風景
温泉、酒、カフェの話などを、ぽつぽつと、しながら
杯をあけます


そうした、ああ、たぶん、こんな山をみたんだろうな
山を歩いた後の、疲労感のなかで、温泉につかったのだろうなとか
自分の経験と、あわせて、その「言葉」ではすべては表現しきれない
ところを、想像して、相対してる時間がとても、心地よいのです


こんな友人がいて、よかったと思うし
今、誘えば、その友人と会って、お酒が飲めるということが
すごくうれしいことだと、思うのです
自分の目でみていない、光景について、想像できる、そんな時間が
あると、またそれを確かめ、より鮮やかなものにしようと、旅に
行きたくなるのです