ルーブル美術館展 愛を描く

絵の話を書く、つもりが、そうでない話を
だしますが・・・
会場には、恋人?若い夫婦と見える、20代とか30代の
カップルが多かったように、見えました


アートのファンの自分として、休日に美術館を訪れる人を
見ると、それなりに年配の人が多いのかなとも
思っていたのです
静かに、絵をみたくなるのは、割合として40代以上?とか
という印象がありました


ですが、今回は「愛」というテーマであり、言葉自体の
魔力でしょうか?若い人を惹きつけたといっていいかなと
思いました


さて、その若い人にも、何かが伝わったのか?
というのは、基本は、「アモル」「ヴィーナス」といった
神のいろいろになるのですが、愛おしいまなざしを、お互いして
「こういうイメージこそ、愛の瞬間」といった絵が
並びます


こんなふうに、書くと、世界じゅうで、美術館の代名詞といっていい
ルーブルの至宝とも、いっていい、名画に対して失礼かも
しれません


今回の17世紀や18世紀の、神話の世界は、どうも、それより
前の、宗教に大きく影響のある世界とは、変わっていってる
というのも、感じた所です


ひとつには、絵を注文する、人々、もちろん富裕層かも
しれないですが、そういう人の、欲望の表れともいえるのかなと
見ながら、思っていました


だいぶ前になりますが、確かNHK日曜美術館で、ある解説をした人が
西洋の「ヌード」は、ずっとこれは芸術だと言い続けて、芸術として
なりたった、といった言い方をしていました。
よく知られてることで、印象派ドガが、庶民の裸婦を描いて
センセーションを巻き起こしたように、ヌードは、その絵以前は
基本、「神」としての扱い、との認識です


ですが、ひとつ言えることは、神を描きながら、実際そのもとの
「こういう絵を描いてほしい」という気持ちのなかに、人間の欲望といった
ものが見えてくると、いっていいかなという、感覚


実際、フランソワ・フーシェ 「褐色の髪のオダリスク
をみていて、そうなのだと、思いました


ポスターを飾った、フランソワ・ジェラール 「アモルとプシュケ」
これを、見ていて、神を拝む気持ち、が先にくるのか
なにかしら、エロティックといっていい、欲望を感じるのか
どっちが多いかなんて、わからないですが、両方あって・・・
ということになるでしょうし、想像するに、作家は、おそらくは
両方の思いがあって、じゃないかと想像します


ルーブルの至宝を、こうして書いてしまうと(解説にもそうした
ものもありますが)なんだか、えらそうな、雰囲気になってしまいますが
アートヒストリーをひもとけば、その時代の人がもっていた、気持ちの
いろいろが、作品にでているのは、当たり前と言っていいと
思います
そういう意味では、欲望の時代ともいえるかもしれないですね