小川糸

小川糸 「きらきら共和国」
少し、印象的なシーンとして、主人公の鳩子が結婚する相手は
再婚で、前の奥さんを事故でなくしてるという設定があり
その前の奥さんの、思い出のものの扱いで、夫婦喧嘩する
ということがあります


ねたばれ、なのですが、書かせてください
こう書くと、夫が前の奥さんの思い出の品に、こだわって、今の彼女が
傷つくのかというのを、思い浮かべるのが、多いかと想像するのですが
でてくる、ストーリィは逆なんですね
実際、「日記」がでてきて、それを捨てようとする、夫に対して
それは、いやだと、そうした思い出を大事にもっていてほしいと
いう、主人公という構図です


これは、小説のなかの、美談じゃないか。そういうとらえかたも
あって、はあ、そうかもしれないと思いながら、美談過ぎる話かも
しれないけど、あえて、小説にそう書くことによって
もしかしたら、まねできるかも、と、思う人もいていいと
思ったりもするのです


美談すぎる、に、似てる話として。主人公の鳩子は、祖母に厳しく
しつけられて、育ち、その反動みたいに、派手なファッションなどを
して、つまりは、ちょっと不良っぽい行動もとりながら、家をいったん
出てるという設定があります
そうした、過去をもちながら、生きていくなかで、祖母の気持ちを
祖母の文通相手からのエピソードだったり、結婚して相手の連れ子の
QPちゃんとの、やりとりだったりのなかで、振り返り
過去の自分と祖母との、あれこれ、祖母の気持ちを後になって
想像してみるというシーンが、なんとも、いいというか、なんと表現したら
いいか、一方的な自分の視点から、やや、相手の思いに、添うものが
ある視点への変化と見えてくるのです


「言葉」は、想像力を相手にもってもらう、そういうツールだと
いえるかもしれません
このツバキ屋文具店の続編の、小説を読んでいて、親だったり、ここでは
祖母ということになりますが、うまく、関係を築けなかった、そういう
人が、そのちょっとこじれてしまった、関係をほぐして、まわりの
人とやりとりしながら、自分を再構築といっていい、そうした
生き直す、育ち直す、といった場面がでてくるのが、うれしいとも
思うのです


この本の、自分にとってのうれしさは、「鎌倉」のご当地小説だと
いうこともあります。でてくる店を知ってる、知ってるだけでなくて
入ったこともある、ところがあります
また、そのあたりの、感覚は、まったく小川糸さんの、感覚が好きだなと
思うところなんですが、もともとは、しろうとの人がカフェをやったり
するときの、その「こうしたらいいかな」といったものが
なかなか、リアルだし、そういう店にいってみたいという内容です


こうしたところが、もしかしたら、小川糸さんの小説を、映像にしようと
思う人の、きっかけになってるところとも、想像します


小説で、映像の番組や、映画といったことで、読んだ人、見た人が
どんな気持ちになってほしいいか。このbefore,afterがくっきり
見えて、作りたい、と、なってるのではないか、そんなふうに
思う、読後感でした


もっとも、ここ何回か、映画になってる作品の、原作を読んで、原作の
ニュアンスが変わってるのに、がっかりだったり、変わっていて
その違いが面白いと思ってる自分としては、なかなか、興味が多い
ところ、ではあります