仏法僧

法隆寺のお坊様が、新聞に以下のような話を
書いておられました
憲法17条において、「和をもって貴しとなす」が
有名で、これが第一条ですが、この和を以て貴しとなすを
実現するための第二条に、三宝を厚く敬え、三宝とは仏法僧なり
というのがあります
現代語訳すれば、仏:目標、法:やり方、僧:仲間に
なります・・・


ああ、すごいことだなと、思ったのです
今、現在に通じる、価値を憲法17条は、伝えてくれてる
ということ
仏法僧、まさに、経営の柱といっていいのではないでしょうか?
目標、やり方、仲間がそれぞれ、とてもいいのだとなったら
その会社は、必ず発展するといっていいのだと、感じます


そして、こうして、抽象化して、だされると、さて、自分の会社は
どうなんだと、言うと、どれも粉骨努力して取り組み中と
いいたくなります


目標:経営のビジョンと言い換えてもいいです
ところが、これがなかなか、難しいのだと、感じます
経営のビジョンは、経営者が唱えるのも大事ですが、そのことが
社員ひとりひとりに、伝わって、共感を生むものだと、考えます
はたして、これだけ、不透明、またこわいとき、未来をみながら
共感するメッセージって、どうだせば、共感になっていくのか?


やり方:ITを仕事にしています
そうなのですが、ITを利用するのは、一応できてるとして
ITでリードしていく、ということが、求められるように
思うのですが、他社、他人をリードするという状況は
創れてないのかなと、反省です


仲間:人材育成を、経営の柱として、やっています
一部分は、気づきを生むような、仕事のしかたを、して
成長をしていくということを、感じながら仕事できる
そういう状態にするのに、会社のやってることが役に立ってると
感じる部分があります
ただ、実際、社会力という部分が、個人において、また世代間で
あるグループといっていい人たちに、退化といっていい
部分がでてると感じる中、成長してるところを、打ち消して
しまうのではないか、みたいな、危機感ももっています


今日、自分たちの会社の現状を書きながら思うこと
だから、仏法僧、三宝を敬えなのかもしれないと、思うところです
目標、やり方、仲間、ここをなんとかするしか
企業が立ちあがって、さらになにかの役に立つ、なにかに
効果を感じてもらうそういうことは、ここからしか、ないと
言っていいのではないか?


別の言い方をすれば、「王道はない」ということにもなるか
とも、思うのです。
楽なというか、なにか別のところへ、というのは、間違いで
今やってることを、ブラッシュアップして、強化していくのが
大事なんだと、覚悟をもつこと、ではないでしょうか


人と人。あらためて、「やりとり」することが、学びの大事な要素です
本を読むというのも、やりとりに含めるとすれば、学びは
やりとりからだと言っていいと思います
だから、やり方でしょう、仲間でしょう
そうして、朝令暮改になるかもしれないですが、目標は
常に見直すつもりが、あっていいのでしょう