「仕事だから」という言い方は

仕事を仕事として、受け取れない人
「仕事だから」やりなさいが、通じない人


そういう人が増えてるように思います
ひとつには、「責任を持つ」ということに、極端に
だめな人たち。自分は責任を持ちたくありません


はあ。そういう話になると、そうなんだけど
お給料はほしいんだよね?とつい言いたくなって
しまいます


二通りの、対処を思い浮かべます(対処とは言えないかも
しれませんが)


ひとつめ:仕事を仕事として、認識してもらうように
なにか(言ってきかせる、話し合う)する


ふたつめ:この人は、もう仕事という認識がないのだからと
そう扱って、(少なくとも)責任を感じてもらうような
ことはやらせない


どちらもしんどい、話ですね


言い換えると、仕事を仕事として、認識できないのなら
いっしょに仕事できない、なのか?


ただ、今日ここに書いたことを、たとえば20代の人に
読んでもらったとき、「自分も責任は持ちたくない」
そういう人は、とんでもない割合でいるのではと、危惧します


ここでいうところの、責任って、あくまで担当者としての
責任ですがね。


当社の新入社員研修にて、「社会人とはどうあるべきか」
このことを、考えてもらうということを、します
仕事をするということについて、仕事をして、対価を
もらうということについて、その認識がもてない
責任をもてない、人には、柳に風ということになってしまい
そうです


いいえ、そんなふうに悲観しないで、人間には成長する、
成長できる力、ということがあるということを
信じたいと思います


人間は、自分で価値と認めたなにかを、自分も
できるようになる、そのため、成長、ステップアップする
そういうことができる存在ですと、言い切りましょう


だから、ぱっと見、責任持てないとか言いたい人も
どういう責任(少なくとも報告する責任、担当者として
状況をみて、判断する責任)を果たすのかを、はっきりし
あなたの責任はここまでですよと、お互いがわかるように
していく


どうも、言葉の扱いというのも、下手になっている
自分たちがいるということが、あるようですね


大事なことは、いろんな課題だとか、今やらなければ
ならないこと、それぞれ、担当者は担当者の、その場所の責任者は
そのように、分担して、チームで乗り切っていくということが
大事ですね