家族ぐるみで、親しい人と

ほんとに、久しぶりという感じで、友人とお酒を飲み
楽しい話をすること。こういう日常が返ってきつつあって
うれしく思います


人と話すということが、いかに、「心の栄養」になるか
親しい人と話していて、このところ、「ああ、いいな」という
感覚でいることを、うれしく思います


お互いの間に、信頼があり、そして、ときには対立する意見交換も
あっていいのです。あたりまえですが、そうしたことは
あっていい、という了解があります
たとえば、アートをみての、印象、感想といったこと
人それぞれ、違ってあたりまえですね。そうしたことは
ありありです


できれば、「家族の話」をしちゃうということも、いいと
思います。今私、59歳という年齢もあって、同年代の人が
親を見送るという場面が多いことに、気が付きます
親を送るというのは、ひとことでは言えない、いろいろが
あります。そんな感想も言ってみます


親という存在について、身近にいなくなり
そういうふうに、回想するということで、思い出す
だから、客観的に思ったりするということがありそうです
そう、自分との共通点、そして、反面教師としてきたこと
などがそうですね


自分と自分の親との共通点という意味では、「誠実に生きる」
という、生き方の姿勢ということが、まず浮かびます
これ、あんまり、杓子定規にやったりすると「しんどい」
ということも、知った局面はあるし、自分でも意識しますが
いいえ、やっぱり、基本は誠実に、なんですね


その自分が誠実に生きるということに決めていますから
自分とつきあってくれる人も、やっぱり一定のところ
誠実にやってほしいと思ってることはあります


今回、親しくしてる、家族ぐるみといっていいほど、親しい人の
自宅で話すということがありました。小学生から知ってる
若い、息子氏。もう社会人です。つい、その人に結婚観など
質問していました。そうできる、空気感がある
こうしたことが、すごく素敵だと思います


なかなか、家族の話ということを、踏み込んで話すことが
できない、ということは、日常よくある話ですよね
それは「一線を超える」ということを、どうするか、わからない
状態で、いつもは、色んな人と接しています。そう、自分も
含めて一線を超えるということは、「特別な相手」ということに
決めています。そうしたことをしない、ある程度浅いところで
留めておくということも、人間関係をうまくまわすには
必要と思ってるからです


ただ、できれば、こちら側はいつも「開いていますよ」
という態度はとっていたい。入ってくる人には、どうぞ
奥の座敷まではいって、こちらは基本、あけっぴろげでいい
という態度でいたいとも、ときどき、思います


話のなかで、ワークショップの話になり、ワールドカフェ
というやり方の話をしていました。まるで「カフェ」で話してる
ようなリラックス感があること、これが話し合いにはとても
有効だという、考えからでてきた、やりかた
この考えのもと、について、ぜひもっと応用して、使っていきたいと
思う、時間でもありました