世代のギャップを感じながら

もう10年以上まえのこと、SNSに自分の少年時代のことを
ちょっと書いたら
「わー、3丁目の夕日の世界ですね」なる、コメントもらって
へーって思ったことがあります


確かに、地域社会はまだまだ、元気(に見えた)
だから、近所のおじさんは、しっかり自分のことも
知っていて、しかってくれたりしたし
いっしょに遊ぶ、高学年の子供は、遊び方
けんかのしかたのイロハは教えてくれたように
思うのです


それから、もう50年近い年月。世の中変わってあたりまえ
かもしれないですが、いまの世の中の子供たち、はたして
どんななんでしょう?


自分も50代の後半になりまして、二回りつまり20才以上
歳の離れた人と話すのが、どうも、ずれが多くてと思うのは
どうも、本など読むと、どの時代にもあったことのようです
それが、くやしいとか、いやだとか、言ってる場合じゃない
自分の立場、仕事があります


はたして、いまの20代、30代の人にどんな言葉で
声掛けすることで、彼らの気持ちに響くのか?
これは永遠といっていい、テーマなのです


ずっとやってること。それは「成長しよう」という
声掛けです
どうも、私自身が育った昭和40年代、50年代(は途中かな?)
というのは、かなり、世界中みても、おそらく歴史でみても
まれにみる、特殊といっていい、平等で、みんなが
これから未来は明るくなると、信じられた、いい時代だったと
言えるように思えてきました


その反対で、いまからさかのぼって、20年とかは、経済成長はない
ゆえ、親より、豊かになれない、けど、いまの自分はそこそこ
豊かといった、状況ですね
未来が必ずしも明るくない。そして、「階層」といったものが
できてしまってようにも、見えるのです
その階層を超えてやろうというのは、どうも、無謀な行為のように
扱われてるようです


階層を超えるって、普通、自分の努力で豊かに、明るい未来を
作れると思うのが、自分の10代の普通ともいえると思うのに
なんなのだろう。


成長しよう。理想を掲げよう
このことは、少しは、20代、30代の人に伝わるようです
自分たちがどう生きるかといったときに、成長したい、というは
偽らざる、気持ちでしょう
ところが、成長するのに、はたして、どんな努力をすればいいのか
皆目わからない、と、なるようなのです


本は読まない(読めない?)だから、ネットで検索するに
してもそのベースとなる、思考が貧弱ゆえ、うまくネットも
使えない
人から、聞く話を、想像力をもって聞くことができない
想像力が貧弱というのも、あれって思うほど、そうなのです


歴史や、文化、そうした、知識が圧倒的に足りていないゆえ
世の中で起きてることの意味を俯瞰して、考えるなんて無理


でも成長はしたい


成長する。成長しつづけることで、なにかが見えてくる
それは、そうなのです
だから、なんでもいいから、勉強して、感性を磨いてほしいなと
思います


おーい、成長しようぜ、そのためにすること、筋トレみたいなことも
貪欲にしようぜ