演劇、カンパニー

あるとき、時間をいっしょに過ごすことで
仲良くなれる、そんな経験をしたことを、思い出します
高校や、大学のクラブの仲間はまさにそうだと言えそうです
実際、そんなに長い時間を過ごしたとも言えないのですが
たかだか、2年とか3年とかなのですが、濃い、時間だったと
言えるのでしょう


なぜ、濃い時間を過ごせたのか?
それは、気持ちの問題かなとも、思います
10代や20代で、気持ちをこめて、その活動をしていたから?


大学のときは、英語劇でした
まず、セリフを覚えるのも、たいへんです。
そして、演技する。気持ちをのせて、しゃべったり、怒ったり
泣いたり、恋したりするのですよね
こういうふうに、文章にしてしまうと、なにが「濃い」のか
よくわからないのですが、ひとつのステージを作り上げる
というのは、言い換えれば、人生をひとつのステージにぎゅっと
つめこむといってもいいことがありそうです


こうした、演劇ということを、通じて、ある人の本気がだれかに
移っていくそんなことも、「あたりまえ」のように、経験も
しました。そうしたことは、お祭り的な要素といっても
いいかもしれません


大学の仲間とある程度のゆるさのなかで、演劇を作り上げる
といったことを、やるというのは、その後の自分の生きるなにかを
つかむための、いいレッスンになったということがありそうです
なにか、やりたいことがあったときに、どう振舞うのか
そんなためのレッスンでしょうかね


そのレッスンというのも、過ごした時間の濃さによって
いいレッスンだったのかということが、変わるといっていいことも
ありそうです


「青春」という言い方をして、自分が熱くなにかをした日々
ということを、思い出したりする、人は多いようです
そして、ほんとうの意味の青春であれば、続けていたい
熱い気持ちを、意識してもって、なにかをしていたいとも
思います


自分のなかでは、いつか、もう一度演劇のステージを
作りたいなと思うことはあります


なにかを、計画して、その計画したことを、実際人が動いて
成果をだすようななにかをしていくというのは、楽しいことです
また、その成果というのが、利益を生まなくてはならないとなると
もちろん大変ですが、大変なだけに、意味は大きなものになります


ここのところ、カンパニー、companyという言葉がとても
気に入っています。いっしょにパンを食べる仲間ということ
このカンパニーが、元気にいい感じの場になってることこそ
生きていて、いい場所、いい居場所につながっていくと
思えてくるのです


学生時代に受けたレッスンが、ひとつの方向を示し
その方向の先にあることというのは、とても高い、理想といっていい
ものが含まれていたと思っています
その理想のある、また理想を実現させる場として、companyがあると
して、そのcompanyがどんな場ならいいのかというのを
もう一度見つめ直してみたいと思いました