取り回し鉢

塩煮いも きくらげの山家煮 いもなます ごぼうの丸煮
花豆ふっくら煮 ゼンマイ煮物 カレーいも 干し芋がらの煮つけ
これらは、野沢温泉、住吉屋で食べることができる
取り回し鉢の料理です


実際のところ、朝ごはん、夕飯のときにふたつずつ選んで
だしてもらえるのですね。そしてもちろんそのほかにごちそうも
でるのですが、この取り回し鉢のおいしいこと、ほっとすること


お話を聞くと、お祝いの席の料理、ということだったとのこと
素敵な話です


食べていて、しみじみ、おいしさを味わいながら、ふと思い出すこと
生まれ育った家でいっしょに暮していた、祖母が「ゼンマイ」を
とてもありがたがって、食べていたことですね
祖母は、農家で生まれ育ったようで、野菜だったり山菜について
思いがあったのだと、想像します
まだ、作ったことがないのですが、ゼンマイはとても手間が
かかります。「あくをぬく」という作業、何度も
ゆでては、その水を捨てて(ゆでこぼすという言い方をして
いました)そうしてから、味をつけて煮るということを
すると聞きました


料理というのは、必ずしも高いなにか材料で、めずらしい
食べ物がいい、ということはないのだ、と、この取り回し鉢は
伝えてくれるように、思います


ひとつには、そういう料理を自分が食べたくなってるということも
あるかもしれないですね
料理も人間関係に似てるということもあるかもしれないと
このごろ思います
つきあっていて、何度話しても、時間をかけていっしょにいても
安心で、いっしょにいることが、心地よい。そんな人間関係を
求めるようになる、といっていいでしょうか


人と人が信頼しあって、チームでなにかする
そういうことを、人間はやってきたと思うのですね
そうなのですが、効率化の掛け声のもと、本来信頼しあう
ということに時間をかけることが前提なのに、そこをさぼってる
そういう時代、世の中のように見えて、不安になります


料理から、自分のやってることを、見直してみたい
そんなふうにも思います


ただ、はたして、自分がいいと思う料理を、若い世代が食べた
として、伝わるのかなと、不安がありますがね
でも、おそらくは、伝わる。言ってみれば「普遍性」といった
ものがある、それだけの価値のある、料理ってあると思いますね