本をいっしょに読むこと

主人公に感情移入する。このことが楽しい本の
読み方といっていいかもしれないです
「おあとがよろしいようで」 喜多川泰
この本の後半で、成長がみられる主人公は、文化祭の
晴れの舞台、ひとつ、身体をはって誰かの役に立つ
といったことを、迷わずやるという場面があります


はたして、自分がその立場だったら、似た行動をとるのか
もちろん、ときと場合によりけり、いろんな意見が
あっていいのです


NHKに「英雄たちの決断」という番組があって、気に入っています
この番組の、目玉のひとつが、とりあげた対象の歴史上の
人物の、葛藤をすくいだして、自分だったら、どういう決断を
するか?という話をふります
スタジオには、歴史家、その分野、脳科学者だったり
小説家、その他、関連する分野のプロを連れてきます
ここでは史実はどうかというより、その人物がとった行動
そこに自分がはいりこむことができたら、という話題の
ふり方をするわけですね


「おあとがよろしいようで」
この作品では、主人公のやってることは、必ずしも「お見事」
とはいえないでしょうね。そのやろうという気持ちはいいし
本人としては、やっちゃった・・・みたいなこともある
でもかっこよくやれたわけではない


いいえ、かっこよくやれてないところが、この小説のまたみそとも
いえることじゃないかなと思うのですね
カッコ悪くていいんです。急ごしらえで、その場をつなぐ
これがかっこよくできたら、ちょっといやらしい。かっこ悪くて
いいんですよ


人間、生きていかなくてはなりません
そして、やっぱり相当数の人が、できるだけかっこよく
生きたいというのがあるんじゃないでしょうかね
やってることに意味があったら、カッコ悪くてもやる
そういうことがほしいですよ


「誰かのために」「役に立つ」というのは、きっと
体験したい、ぜひ体験してほしい、経験だと思います
そうならば、不慣れなところではカッコ悪くてもいいんです
いろんなことが不十分でも、やってみるということが
大事だと言えるのではないでしょうか


そして、役に立つということが、いいなと思えたら
その次近い場面にでくわすときに、もう少し工夫をするとか
相手がほんとに、どうしてほしいか、聞くとか準備するとか
ちょっとずつ改善させていくということがほしいのでは
ないでしょうか
かっこよくできないから、やらない、では物事が
はじまらないし、自分のなかに「役に立つ」ってどういう
気持ちかということも、体験できないじゃないですかね


「おあとがよろしいようで」楽しめました
そして、やっぱり本をひとつ、共通のインプットとして
話し合いをするということ、やり方の工夫がほしいと
ちょいと反省もでた、時間でした