生かされているという認識

朝、ウォーキングをしていると、犬を連れて散歩する人に
何人か会います
そして、いっしょにいるわんちゃんの様子をみていると
あ、実際こうして扱ってもらえてうれしいのだろうなと
ちょっと様子をみるだけで、わかる場合があります


それは、その人と犬の間に会話があるということです
いいえ、言葉を発してるかどうかというより
やりとりがあるのが、みていてわかるということですね


まさにそのわんちゃんが、「我が子」という扱いなんだと
みえてきます
実際のところ、親と子供もそうですね
もちろん、自分に子供いないし、自分がそうしてるかなんて
とてもいえないのですが。


石垣島に旅行したとき、古くからの農業のやりかたをしてる
という人にあって、水牛がいるという場所にいっしょに
でかけました
その水牛、のぼたんといいますが
のぼたんは、のぼーって呼ぶと近くまで来てくれたのです
こうして、「応えてくれる」ということが
あ、こちらをみて、わかってるんだなと思えて、それだけ
なのですが、とてもうれしかったのを、思い出します


ちょっとだけ、自分の住んでるところの近くで
自分の食べる、コメや野菜を作ってるということにあこがれます
自分で作ってるということでは、5年前、社員旅行でお邪魔した
南魚沼の、農家で民宿の、越路さんを思い出します


社員旅行でお邪魔したとき、ひとつの目玉が、収穫体験でした
菜っ葉、サトイモ、ピーナッツを収穫させてもらいました
土からげじげじがでてきて、はじめて身近でみちゃった
なんてのも、楽しい思い出になっています


動物も植物も生きていて、その生きてる命を
いただいて、自分たちは生かしてもらってる、そのことを
忘れないようにしたいと、そう思える体験でした


人間はひとりでは生きられないし
動物、植物といっしょに生きていくということを忘れては
だめだな、すくなくとも楽しくないなと、思っています


ひとりでは生きられない
だったら、いっしょに生きてく人と、いいチームになって
自分は自分の役割をはたす、そういう気持ちでいる
というのが、どうしても欲しい態度だと気が付きます


そういう態度で生きてく、そういう人には、いっしょになにか
したいね、という人とつながることができるし
そうなれば、自分にもっていないなにかに近づくでしょう


それがチャンスだったりしたら、人生変わることも可能なんだと
思いますが、ほんとにそういうことに気づけるか
これが大きなことだと、今、思います