議論は立場ですれちがう

立場で人はものを考える


食事を作る人
食事を食べる人


これがくるくる立場が変わる状態なら作るときに、食べる側の気持ちや
要望を取り込もう、食べるときに、作る側の大変さや意図を汲もう
となって、とてもいい感じにわかりあえるし、気持ちいい
これがいつも作ってる人は同じ、食べてる人も同じとなると、作ってもらう
のはあたりまえになる。作り手の苦労や困ってることは、目にも耳にも
はいりにくくなる


ものを売る店員
買う客


お金を払う客となると尊大な態度をとる。これは誰しもある傾向だ
「私は客だ、偉いんだ」ということになりやすい
だから買ってやるとばかりに、お金をはらうときも無愛想でやる
ときどき思うのは、どんな人、どんな場合でも同じ態度
同じ笑顔、同じ言葉づかいでやれたら、素敵だなと


原子力発電所の今後


震災で大変な思いをした人が、「原発は危険でゼロにすべきだ」と
思ったということがきっかけで、原発をどうするという話に
興味をもち、話をする場合


一方、「原発を含めエネルギーについて考えよう」というスタートの
人がいるとする


この二つは真っ向から話がかみあわないと思う。
ゼロからの人がいう。「人の命に関わることなんだ
多くの人の健康に重大な影響があることだ」という主張から
「なぜ、ゼロから話がはじまらないのか、と思ってる


一方、エネルギーのほうの方も主張する
「安定したエネルギーを国としてもつということが、たとえば
医療の現場にフォーカスすれば、人の命に直結してるということは
あたりまえのことですよ」


立場、スタート地点がちがうと話はきっと、平行線になる


ときに、立場を超えて理解し、協力するということが大事だ
日本は「和をもって尊しとなす」ということを
とても大切にしてきた。
そして、そのDNAを我々は持ってる。そのよさをだして生きたい