何かを好きになるってこと

人と話していて、あ、この人はなにか好きになるのがうまい
というか、面白がって生きてるなと、感じるときがあって、
そんなとき、うれしく思うし、自分も楽しんじゃおうとわくわくする


何かを好きになるってことは、いわば才能かなと感じたりします
何かを好きになることができて、そのことに関連する
情報を集めて、そのことをもっと知ろうとして
知る、楽しみを覚えていく。同じものが好きな人と
情報交換して、楽しみ方を、増やしていく


例えば、歴史。永井路子であり、司馬遼太郎、最近だと
安倍龍太郎とか、歴史小説が好きということがまずあります
先日このブログに書いたように、永井路子の「あかねさす」という
小説がとっても、気に入って、奈良県の明日香を歩く
ということをしてみたのですが、明日香がきっかけとなって
歴史の道だとか、誰かが歩いた道、東山魁夷だったりするのですが
自分の気になる人が、その場所をめでていたりしたら、その
場所に行ってみて、その空気を吸ったりしてみるのです


誰かが愛した場所、そこには、やっぱり感動の風景があったりして
そのことを、共有できたという思いは、心を豊かにする感じがします


人間の楽しみって、五感をフルに使うってことになるのかなと
思う時があります。風景であり、なにか美しいものをはじめ、「見る」
音、言葉を「聞く」。もちろん「味わう」。それと同時に嗅覚であり
さわったりということもそうでしょう。
うつわを楽しむというのは、もちろん、見て、そしてそのうつわを使って
料理を盛って、胃袋もみたし、また作家の人に話を聞くという楽しみも
あります


この秋、北陸にでかけて、山のほとりに、そう半分仙人のように暮らす
作家の方と話すことができたのは、うれしかったです
川沿いの道を山に向かっていき、もうその先は、車のとおる道はなくなる
という場所に、行きました。川にはうぐいがたくさん泳いでいました


自分の修業時代の話をしてくれました
そのかたが、師事した先生は寛容で、なっとくする仕事ができるのを
待っていてくれたという話がでました
ひとつの線をひくのでも、ただ、まっすぐな線をひいたのでは
面白くない。かといって、なにか作為といったものが前にでて
しまうような、線もいやらしい
そういう意味で、一本の線をひくのも、思いをこめるわけですが
なっとくするまで待っていてくれたといいます


その先生の家族をまるで、親戚のようになつかしがって、話しているのも
印象的でした。いいえ。こうした人とあたたかい気持ちで接する人
というのは、もともと日本人なら、ありそうな感覚で、このことが
特別と思えるような、私の感覚が少しずれてるのかもしれないですね


何かを好きになること。アートであれば、ついその作家の人柄という
ことを、重ねてしまうくせがあります。もちろん、見方によっては
悪いことではないでしょう。うつわ、ということでいえば
やっぱり、手に取って、使ってみてというときに、作った人の
感性が気になります


買ってきた、うつわが、自分の食卓にあがるとき、できれば
いい連想をして、食事が楽しくなるようにしていたいと
思います