ル・コルビジェ

好意で、その人が設計したという、北軽井沢の別荘に
泊めてもらい、建築や、いろんな話をしたのを
思い出します。そのご主人である、I氏は、ル・コルビジェ
名前を、真っ先にあげて、素晴らしいと、評したのです


このI氏との時間を思い出すと、建築のこと、あれこれという
のも、もちろん、楽しいのですが、こちらの受け入れられる
そうした、話のやりとり自体を楽しんでるということが
わかるのです
つまり、I氏の、包容力といったらいいか、受け入れるその柔軟性
もてなしたいという、世界といったらいいか、そうした
ところに、こちらは、招き入れられて、ほんとに、心地よく
過ごし、おしゃべりができたのだと、思うのです


「境界をこえる」 安藤忠雄
という本のなかで、ル・コルビジェにあこがれ、その建築を
みたことが、建築家としての、思いであり、建築家になろうとした
そのもともとの力といったことに、大きな、大きなものが
あったと、安藤は、いいます


ここで、符合する、ル・コルビジェのこと。建築について
まったくしろうとの、自分も含め、そういう人にも
すごいなと思わせる、普遍性といったことがあるのだろうと
推測するのです


国立西洋美術館は、建物自体が、ル・コルビジェのもの
その国立西洋美術館で、2019年、ル・コルビジェの展覧会が
あり、サヴォア邸だったり、これぞ、ル・コルビジェの空間か
というのを、みれたのは、とてもうれしかったです


光にこだわったということで、思い出す建築があります
富山県にある、天望立山壮。ル・コルビジェに師事した
吉阪隆正のものだと、知り、泊まった日のことを
思い出します
ほんとに、偶然のこと、泊まったその日は、夕焼けがとても
美しかったのですね。そこで働いてる人が、こんなに
美しい日もめずらしいといったほどでした
立山の2000m近い、山から、富山湾までみわたせる
その広大な斜面を、夕日のオレンジが、なめるように
いっぱいに、広がるのです


ひとりの人間のできることは、限られたことなのだと
思いつつ、ル・コルビジェの残したものというのは
なんて大きいのだと、こうして、いくつかのことを思うと
うれしくもなり、あこがれに似た気持ちになります


好きな作家である、司馬遼太郎の自宅を、記念館にしてあって
その記念館の、設計をしたのは、安藤忠雄だと聞きました
その、記念館の中心であり、たぶん、安藤忠雄司馬遼太郎
なにかを、表現するとしたら、という思いを込めたもの
それは、本棚ですね
司馬遼太郎が作品を書くときに、膨大な資料を調べたという
その行為そのものが、司馬作品の、軸となってると思って
その資料、本の存在を祈念館の中心に置いた


その建築を訪れた人が、印象に残るもので、なにが言いたかったのか
わかるというのは、建築のひとつのあるべき姿なのでしょうね


ほんのちょっとだけかもしれないけど
足跡を大きく残した人の、仕事、を思い
自分も、少なくとも気持ちでは、劣らない仕事をしたいと
あたらめて思う、朝です