ブログを続けてること

ブログを毎朝書く。このことを、最近親しくなった人に
説明するときに、自分は「こつこつ努力する」といったことが
苦手でした、と説明しました。そのちょっとずつやる、毎日やる
といったことを、自分がリーダーになって、若い人にそれが
大事というときに、さて、自分はどうなんだとなる
そうした、自分へのトレーニングで、毎日ブログを書く
ということを、はじめましたと、言いました


毎日やること。なにかを自分がうまくなることをしたいと
なったら、毎日やる、ということが、ひとつのこつです
毎日やるから、「アンテナ」がたちます
こうして文章を書くということ、なにかあるときに、あ、これ
文章に書いてみるって、してみたいと、簡単なストーリィを
自分の頭のなかで作っていたりします


アンテナがたつということは、そういうことでは
ないでしょうか?
アンテナがたって、面白いと感じるから、続けられる
そして、続けているから、アンテナが立ち続けて、自分の知識だとか
やり方のバリエーションが増える


3年ほどまえだったでしょうか?法隆寺のお坊さんの、話が
新聞にのっていて、和を以て貴しとなす、この実現方法として
厚く三宝を敬え、三宝とは、仏法僧なり、とあり、現代語に
訳せば、仏:目標、法:やり方、僧:仲間だとありました


習慣を作るというのは、なにか、目標に達する、目的を実現すると
いったときの、法:やり方といっていいのではないでしょうか?


やり方、は、拡大解釈すると、生き方にもつながっていくと
感じます。こうやって、生きていく、こうやって、自分を
レーニングしていく、そうしたことが、一段階、自分の
なかにできていくというのは、うれしいことです


文章を書くというのは、なにかを伝える、練習と言い換えても
いいと、感じます
実際、こうして、デジタルな文字で、文章を残すというのは
便利だけど、その便利さゆえに、よくない、面もあると覚えておく
必要があると思います
デジタルな文字というのは、冷たいといっていい。そこに思いやり
などをいれることは難しい。受け取る側がどう受け取るかというのは
そのまま、相手しだい(だけ)になりがちです


そういう意味では、仮にですが、別の方法もとれるのに、メールや
その他、通信を使って、デジタルなもので、特に大事なこと
ニュアンスが大きな要素としてあるものを、送ってしまうというのは
私としては、マナー違反と言いたくなります


ただ、どんどんデジタルなものがはびこってしまうなか
そうしたことを、どこまで、守れますか?ということも
意識しますが。


文章を書くということで、「うた」ということが気になります
三十六歌仙の、うたの展覧会がありました
平安時代と思われる、うたに、現在にも通じる、古典性といった
ものが感じられ、面白かったことを、思い出します


日本には「うた」がある。そしてそのうたを愛でてきた、文化が
ある。そういうことを、思い出し、そうしたことを栄養にして
この文章も、まだまだ、やることがあるなと感じるのです