小川糸

キラキラ共和国という作品について
自分の育ての親、祖母とのいろいろを、見直していく主人公が
います


これはものすごく、素敵です
実際、親とだったり、家族との関係で、苦しい思いをする
というのは本当によくあることといっていいでしょう
その苦しい思いを、うれしいことに変えていく


ストーリィでは、自分には母の日の思い出が苦しいものだった
ということがあって、そして、それは祖母のほうでもそうだった
ということを後で知り、また、母の日というのを自分が
うれしいものとして、受け取ることができて、その昔の自分の
いろいろを、客観的にみれるようになったという話がのっている


結婚相手に連れ子がいて、その子から、母の日、ありがとうの
カードをもらって、そのうれしさ。そのことから、自分が
祖母にカーネーションを贈って、拒絶されたという悲しいことを
客観視することができたということ


なにげない、子供のやることを、どう扱うかということで
その子供の感情、心のありかたというのを、決めてしまう
というこわさ。こういうふうにも見ることができる
いいえ、今主人公は、こうして祖母のいろいろを、肯定する
ことができてるというのは、やっぱり、幼少期だって
愛情を受け取っていたといっていいのでは?


家族というのは、ほんとうに、微妙な気持ちのあれこれで
なりたってるといっていいのかもしれない


ときどき、思い出す、雪の日の思い出
いっしょに暮していた、祖母が入院し、土曜日だったか、日曜日だったか
雪が降ってるのに、自分は祖母の見舞いに行くといいはったという
それを、母が連れていくということになり、雪のなかでかけた
横浜市内、だけど、思わぬ大雪に、病院に向かうバスは行先変更など
あり、そこから歩いた、母は道に迷った・・・


おそらくは1時間以上、雪のなか歩いた、なか、やっと病院に
たどりつき、かじかんだ手足をあたためた・・・


思い出すと、もちろん自分も行きたかったのだろうけど
実際、母が行きたかったのだと、想像する
その日のことは、くりかえし、言い出したら、絶対自分の主張を
曲げないおまえと、私のことを、家族がいう、エピソードに
なっていたけど。


家族といて、その家族の愛情に包まれてると感じるのは
なんて、素敵なことだろうと思います
そして、そうした、家族の在り方、うれしさというのがあって
人間は人間らしく行動できるのでは、と、想像します


客観視するというのは、生きていくうえで、ちょっとした
マイルストーンといっていい、そのときに、ぜひほしい、視点だろうと
そんなふうに思います
そして、小川糸の小説のように、かたくなに、自分のなかに、抱え込んでいた
わだかまりといったことが、溶けていくそういうふりかえりができたら
きっと、人生を豊かに過ごすことができるヒントになっていくと
感じます


大事な人を、ほんとうに大事だ
あのときの、自分の悲しみ、くやしさは、裏を返すとこんな愛情だったのか
と、思えるような、そんな成長がほしいですね