社内の打合せ。健康について、いかに社員の関心を
高くするかという話題になりました。そしてもう何度目でしょう
若い、一応20代、30代ということにします。そういう社員の
健康への関心の低さ、関心と同時に、やるべきことが
なかなかできない、行動しないということに、話が進みました
そこで、私が言ったこと
こんなにこわい、感染症ということが起こっても
若い人は健康に対して、関心が低いままだということ
これを、その人を指導したりするという立場の自分たちは
しっかり認識するということが大事だねと言いました
こんなにこわい、感染症。コロナは、致死率が高い。また
自分が感染してるという認識がない、無症状でも人に感染
させてしまう。本当にこわいです
なぜ、若い人がこの本当にこわいことに、関心が持てないか
(一般論としてです)
二つ理由はあると感じます
ひとつめは、自分自身がとても元気で、おそらく(そうでもない
事例はあるのですが)かかったとしても、大事にならない
ふたつめは、想像力の低さ、ということになるでしょうか
想像力、例えば、自分の大事な人が、命に関わるといった
事態になったとき、どうなのかという想像する力
そしてもうひとつ、そもそも、大事な人ということが
どういう存在か、とらえられてない、ということ
自分の(本来、)大事な人が、自分が大事な人と認知できてない
ということもありそうです
このことを、思ったとき、コロナのこわさ、であり
そのこわさに接したとき、あれ、おかしいなとか
足らないなと思う行動をしてるとなったら、可能な限り
声にして、あれ、そんな行動いいのかなと、言い続ける
ことが大事だと、強く思うのです
もちろん、日常の会社での日々で、この感染症以外のことでも
おかしいな、足らないなはあるのです。そしてそれは声に
してはいますが、仮に本人がそのことを、聞いたからといって
すぐに直せるのか?というのは、別だと、経験から知っています
だけど、複数の人が認識したりすれば、一応、やるべきことは
見えてきます
こわい、感染症
作家の夏川草介は、「レッドゾーン」のなかで、それこそ
想像力を働かせて、医者が、感染症との戦いということを
意識したとき、いかにこわいと思ったか
そして、こわいだけでない、自分の存在意義と同時に
生活をどうする、家族とのいろいろをどうするというのを
作家ならでは、そして、自分自身が医者であること
その、それこそ存在意義をかけて、表現してくれています
専門家である医者がほんとうにこわいと思うコロナ
まだ、戦いはあるといっていいかもしれない
そのとき、社会全体で戦う、という覚悟とできることは
するという気持ちを作りたい。だから、一度言って
伝わらなければ、若い人に何度も伝えて、近い認識を
作りたいと思います
言葉ではなかなか伝わらない。このことを、ずっと何年も
何十年も思うことです
だったら、なにかしらの実体験とともに、伝えよう。これも
やったりしました。コロナという、こわい体験。こんなはっきり
した、身に迫ることがあるのに、若い人が無関心になるという
事実を、まずはよく考え、なにかの方法で伝えていくということを
したいと思うのです