エミリの小さな包丁 森沢明夫

この本を手に取ったのは、twitterにて(いまはXか)原田ひ香が
紹介していたことです。本屋さんで冒頭の書き出しのよさから
するすると読めてしまったのを、思い出します


本、小説で、冒頭の書き出しというのはやっぱり大事だなと
思うことがあります。「人」でいえば、第一印象といっていいでしょう
やっぱり、会って(読み始めて)すぐいいなというのは、「あたり」が
多いといっていいです


今年は、小川糸、森沢明夫という人気作家(といっていいですね)の作品を
読み、ああいいなと思えて、うれしいですね


エミリの小さな包丁、これに限らず、森沢明夫の魅力のひとつは
「さりげなさ」「うん、こうした人近くに居そうだ」という
普通感覚というか、庶民感覚といったらいいか、うまい言葉が
みつからないけど、つまりは、特別な出来事とか、特別なキャラクターを
売りにするのではなく、自分の身近にもありそうな、出来事が
まあ、ぼかしますが、森沢流の料理法で、おいしく、食べた後の
ほんわか感、(読後感)があるのですね。だからまた読みたくなる
といっていいでしょう


鯵のなめろう、サンガ焼き、水なます
いわしの塩辛
さばの炊かず飯 どんこのみそ汁・・・


どれも、漁師の街ならではのおいしさがありそうな
料理の数々


こうした、料理のいろいろを、みていると、森沢がもってる原点は
ここなのか?それは、両親が提供してくれたご飯なのか
「千葉」というご当地を活かすという、本人のいろんな出会いを
含めた、海のあれこれなのか?


続けて読んだ、「虹の岬の喫茶店」「おいしくて泣くとき」
これも、千葉の海が、いわば「借景」のように、小説を彩る
アイテムだといっていいでしょう


虹の岬の喫茶店、モデルとなったという、喫茶店、森沢のとは
知らずに行ったことがあるのですね


場所はともかく、いまの店主にはたいへん失礼ながら、森沢の
文章の世界とは、ずいぶんずれがあるなと思ったことはあります
いいえ、文章を読んでから行ったら、またちがう感想かも
しれません


これは、小説家森沢の、世界観とか、想像力がいいという
エビデンスともいえることです


話は飛びますが、夏川草介 「始まりの木」という小説にでてくる
伊那谷の大柊という、大木を描いた文章があります
信州好きで、時間ができたので、去年その場所まで行ってみて
あまりに、文章の描写とかけ離れてるのに、ありゃ、となって
残念だと思うと、同時に、たぶん、夏川はどこか違う、大木のいろいろを
くっつけて、今は住宅街にあるちょこんとした、柊(になってるように見えた)
を、かつての姿(なのか、そんなに、大きい木とはもともとなっていないのか)
を書きだしてみせたのだと、面白くなったのを、思い出します


小説家は、「夢」みたいなものを、書きだして、読者に元気を与えてる
そんなふうに思うと、モチーフとなったなにかが、たとえ、実際
「見て」なーんだだったりしても、そこに想像力の翼をひろげて
文章では、おお、すごいなみたいな世界を書きだしていくのは
あってもいいことなのではないか?
そんなふうに、思うのです


森沢明夫が、海の描写をするとき。波の様子、一定の離れたところからの
海の色、海がある風景の道など、なぜか、横浜で生まれ育った自分には
なつかしく、またぜひ、あってほしい、場所、想像、風景なのだと
思い出すと、思うのですね