小説の世界

森沢明夫の小説、「虹の岬の喫茶店
このなかの、セリフのいくつかが、楽しいです


歳をとると、「多分」とか「あれ」とか「それ」
とか多くなるのよね。それで会話が楽しめるのは
楽だね


これが、わかっちゃう、そうそうとうなづいちゃう
自分も歳をとったということかもしれません
こうした、代名詞だとか、あいまいさがある会話の
楽しさって、いいものともいえるのではないでしょうか


リラックスして、なにかをするということって、ぜひ
欲しい時間というか、時間だけでない、生きていくのに
欲しいものといっていいくらいだと思うのですね
そのリラックスしてる、したいときに、あまりに
セキララに、見えすぎる、断定した会話だとか、行動
というのは、やっぱりしんどいといっていいのでは
ないでしょうか


もちろん、いつもリラックスしてばかりはいられないので
ときには、しっかり、ぱっちり目をひらいて、よくみて
決めて、行動するということもなくては生きては
いけないのですよね
そうなのですが、物事って普通は二面性がある
いいこともはいっていれば、悪いことも入ってる
どちらを選択するか、最終的に決めるまではどっちもいいな
どっちにしようかななんて、リラックスしていったり
きたりする、そういうことが欲しいですよ


茶店には、いろんな人が来たり、そして去っていったり
するのですね。恋がうまれたり、またその恋は
すぐ消えてしまったり・・・
なにげない一言、そしてそのときのBGMが気持ちを
落ち着かせてくれたり、忘れていたことを思い出したり


茶店がそんなふうな、「ひととき」を与えてくれる
そういう存在だったとしたら、ぜひ一週間に一度いいえ
二度、三度と訪れるそういう場所になるなーなんて思いますね


「いい会話」とは、ゆるりとした時間があって
ゆるりとお互い構えてるところで、やりとりがあるという
こと。これがわかってきたら、楽しいこと、増えるといっていいと
感じますね


毎年秋になると、展覧会の通知がきます
その展覧会は、アートのもよおしで、この今日のブログに
描いているのような「ゆるさ」が、ある、行けば、楽しく会話
できる作家がいて、ゆるく時間が流れてるそんな場所になっています


ビジネスだったりすれば、そういうゆるさから、遠いというところに
どんどん、行ってしまってる?そんなようにも思います
街が、ゆるくいられる場所なんてなくて、困ってしまうなんて
ことが多いように思います


そんなときに、展覧会のその場所は、ゆるりとした場所に見えました
そして、そういうことを楽しんでる人が集まって「和」ができてる
ような感じがしました


もしかしたら、虹の岬の喫茶店森沢明夫の書いてる空間は
そんな、場所を描きたくて、書いたのかなと想像しました