ブログと手紙

ブログに書いてる、日記として意味をもつ文章(そうとも
限らないのだが、やや多めにあてはまるゆえ、日記のようなと
しておきたい)と、ある特定の誰かにあてた、手紙と、文章が
変わるということを、思いました


そう、誰か特定の人に、文章を書くとすれば、当然ながら、その人が
読むという見通しをもって、読んだときに伝わるようなという
感覚で書くのですから、変わっていいとも言えます


ごく最近、小川糸の書いてる世界を、このブログにも書いたし
ある人への手紙にも書きました
親と子の絆が、切れたこと、そしてまたつながること
その過程の、大切さというのを、ていねいに、そして
おそらくは、昭和以前?の日本人として、持っていたことが
あるそうした、価値観というのを、今、令和のいろいろに
つなげて、翻訳してるといってもいいかもしれないこと


ある特定の人に書いてるとき、まずは、親と子というのは
コミュニケーションとるのに、一定のフィルターがかかると
いえばいいか、早く言うと他人同士より、コミュニケーションが
からまわり、つまりは、難しいということがあると、伝えてみました


おそらく、「親」という立場で、子育てに向き合った人だったり
他人かもしれないけど、「育成」ということを、真剣にやったこと
のある人は、一定の人間関係の深さを作る、難しさ
一定のところ、親しくなってから、さらにその先にいく難しさ
というのを、知ってると思います


小川糸の描き出す、世界というのは、おそらく、「今」がとても
「生きづらい」ということがあって、そのなかえ、相当数の人が
欲しいと思う世界じゃないか?
自分だって、親とつながり直したい、そういうふうに思う人が
とても多いなか、主人公は、自分が親として、また親に近い視線で
生きるということのなかで、自分の親との、絆をたぐりよせていく
という感覚。


今日、このブログの文章を書いていて、ブログは、ある面、自分の内面の
告白といった要素をもつということを、思い出しました
「誰かに」書くということでなく、いわば、もうひとりの自分にあてた
告白でしょう
だから、後で読んで面白いということもあります
このブログを書く時間というのが、自分にとって大事と思うゆえんでも
あるといっていいと感じます


手紙、というのも、ごく親しい人へということになると、自分の今思ってる
感覚であり、なにかしらの気持ちの在り方といったことを、伝えたい
そういうところから、書くということが、あるのでしょう


似ていますが、伝える対象が、他人であれば、やはりそこにそのまま
自分そのままというより、その誰かに対する一定の伝えたいこと
その誰かに対する、距離感といったことが、伴奏としてはいると
なるのだと、感じます


ブログを続けて、16年。人は長いと思ってくれるかと思います
確かに、長い。自分がビジネスで活動するようになって、38年
社長という立場で、23年。そのなかで、16年たちました
きっと、ブログは続けていくと思います