メンタリング

「1分間メンタリング」 ケン・ブランチャード クレア・ディアス=オーティス
この本の内容がなかなか、よくて、「メンター」なるものに
なってみたいなという気持ちが、膨らみました


ただ、メンターになりたいから、やるというのは、たぶん本の
趣旨ともちがっていて、いろんな要素があっていって
このとき、この相手とやる、それが双方にいいこととなると、読めます


この本がストーリィ仕立てになっていて、それぞれ、メンターとしてメンティーとして
いくつかの幸運、そして登場人物の、努力、などで、二人それぞれに
学びがあり、人生の大きな選択というときに、大きな力となっていく
という内容
素敵でした


本を読んで、そうか、こういうヒントがあったんだと思って
それを、なにかのときに生かそうという気持ちになれるというのは
とても、充実感のある時間が過ごせたなと感じられて
たとえば、そのときがんばってるスポーツでいい成績を残せたとか
仕事でも勉強でも、あるマイルストーンに達すること、またその達する
過程において、いい感じの成長なりが見えたということ
これにちょっと近い、いいものがあると、感じます


メンター、メンティーの実際にはいるまえに、「フィットする相手か」
ということに、時間がかかってるストーリィというのも、とても示唆に
富んでるといっていいかなと思います


人間はほんとうに、いろんな人がいて、面白いということがある
それだけに、メンタリングという極めて親密さ、そして双方のリスペクトが
どうしてもいる、関係になろうというのなら、相手を選ぶという行為が
どうしても、避けて通れない


「選ぶ」というと、それは、ひとつの見方として「傲慢さ」だとか
そもそも、そうしたほんとに、フィットする相手がいないから、難しい
なんて声がかかってきそうです


まさにそれは、反対しない。本当にそういう面はあります
だけど、やっぱり人間はほんとうに多様なもの、です
だから、めぐりあう、人のなかに、自分にとって、フィットするのかどうか
ということは、大事だし、またそうだから、そういう出会いを大事に
するということを、したいものだと思います


今年、少しずつ親しくなってるな、という人と話していて
「経営」ということに、ふれる話題がでました
そのとき、もしかしたら、ということで、自分の経営の今の様子などを
手紙に書いてみたのです


「自分をさらす」これは、なかなか大変です
だけど、大切になってきた、親しくなった人が少しでもヒントに
なるのなら、という前提がつけば、気持ちが前にいきます


メンタリングというのも、自分をさらすことができる
いろいろがあっていいこととなります
自分をさらすこと、そうできる、相手、相手を含む環境が大事という
ことになります


今日書いていて、思いました
自分をさらす、その行為が自然にお互いできる
それが、親しいいといっていい、相手との距離感のことと
言っていいですね
自然さがあれば、そうした距離を縮める、なにかを模索する
そうした、生き方がいいと感じました