美しいものを求める

黒田清輝という画家は
裸婦像を、「芸術」として、とらえるのか
どうか、そのことが、日本が西洋の芸術を
理解できるかどうか、象徴的なことだと
主張していた、という解説を読みました


裸婦像、ギリシャの彫刻などからくる、裸婦といった
「美」について、ヨーロッパの人々は、芸術とは
これだと、言い続けて、芸術という概念を作っていったと
思えます


黒田清輝をとりあえた、テレビの番組にでてきた
一人の、美術の解説をした、どこかの学芸員
ヨーロッパの人たちは、これこそ芸術だと言い続けて
いわば、無理くり、裸婦像は芸術なんだと、主張した
ということを、言っています


明治にはいって、西洋に追い付け追い越せの日本
西洋のものを、とにかく、受け入れるのがいいことだ
という風潮があって、いろんなものを見ます


でも、まてよ、なんでも受け入れるのが、はたして
いいのか?


日本にも日本の絵のいろいろがあり、美があり
伝統もあります
そういうなか、裸婦像というのは、受け入れたくないと
なっても、それはそれ、だったのかなと思ったりするのです


高田博厚によれば、日本は明治のときの、西洋のものを
とにかく受け入れようという、となるまえから
遣唐使であるとか、そのまえから、外国のものを受容していく
ということ、それを、ありがたがる風潮、これも文化といって
いいなら、文化がずっとあると言います


そういう意味で、外国からきたものを、無批判に受け入れる
ということが、日本人の「くせ」になってるといっていいかも
しれません


いいものはいい。そういう態度で、先入観なしに
美しいものを愛でて、いたいと思います


一方、やはり、作家の生きた背景を知ることで
その表現しようとしたものが、どういうことなのか
理解する助けになることも、事実だと思います


ギリシャのビーナスであり
マイヨールの彫刻が、心をうつなら
それはそのまま、感じればいいのですよね


高田博厚のトルソーも、やっぱり、荻原碌山
「女」も、心をうつのです