ジェネレーションギャップ、そんな言葉は
自分が若くて比較されるときに、聞いた言葉です
そして、今は自分が年齢が上で、下の世代とギャップがあると
感じています
ある本が、スマホが家族のつながり、家族というコンセプト
そのものを変えてるという話を載せていました
ちょっとまえから、固定電話でやりとりしない、例えば
自分たちの子供のころだったら、家の電話しかない
その電話に親あてにかかってきた電話にでるなど
あったけど、一切ないまま、社会人になる今の世代の人
電話が苦手でもしかたないね、くらいに思ったりしていました
いいえ、家族、というコンセプト、あり方を
変えるんだということが、見えてきました
たとえば、家族のその日の雰囲気をがらっと変えるような
だれか家族につながる人、祖父母だったりそれに準じた人が
なにかあったとなれば、それが固定電話ではいったとすれば
家族全員が、瞬時に知ることとなる、といえます
いまは、メールだし、Lineだしで、家族グルチャなんてことも
ありますが、個人にはいり、それをわざわざいわなければ
家族も知らないという時間が流れる、となります
これはほんとに大きいことです
このあたりから、人と人の距離感をどうとるということが
自分の世代と、今の世代(平成生まれ、デジタルネイティブさん)
は全くちがうということを、前提にしたほうがいいようです
家族の在り方がちがう、人と人の距離感がちがう
どうしたらいいでしょうか
わが社は、「疑似家族」みたいなことを、つながりのひとつの
やり方として、やってきています
でも、そのあたりも、うまく双方向で情報交換しないと、うまくいかない?
のを感じますね
LINEだったり、Xだったりは便利で
つながりを作るのも、楽なツールといっていいです
ですが、グルチャなんて最たるものですが、お互いがどう使う
ということを、ちょこちょこ確認、いいねとしながらじゃないと
とんでもない、無責任な雰囲気になってしまいますね
家族ならこうだよね
これがわからない、感覚がちがうとしたら
どうしたらいいのでしょう
そういう、まさに言葉の背景といったことがほんとにちがっちゃってる
そういう人と、どうつながればいいのでしょう
おそらく、ここは、変わらないだろうと思うのは
かつて家族のつながりで、いい部分(すべてじゃないともいえる)は
誰にとってもほしい、つながりなんだということですね
そして、いいとこどりは難しいかもしれないですが
そうしたつながりに近いものを、少しずつでも、作っていく
これにつきるのかな、という感じです