尾形光琳

尾形光琳という江戸時代の画家の展示をみます


見終わって、ふと気が付くのが、江戸時代の画家その人も
入るのですが、画家のパトロンに近くなる、商人、武士?
ここでは文人というくくり方にしますが、そうした人の
ネットワークがあったのだろうということ、ですね


アーティストが1か月とかいいえ、1年とか、客として
いるということがあると、解説にでてきます
そのアーティストを囲んで、おそらくは茶会があり
アートのものの、サロンといっていい空間ができたのだと
想像します


そのひろがりは、江戸、京都はもちろん、地方ともつながっていた
ということを、解説はいいますね


そこで、思うのが、移動は基本徒歩だし、旅は命がけ
という面があるのだろうということ
それでも、行き来をし、人とつながっていくという
まさに一期一会の世界があったということを、思います


尾形光琳の絵
琳派と呼ばれますね。俵屋宗達本阿弥光悦をその源流とする
不思議なつながりです。時空をへだてて、つながっていく
ということ


MOA美術館にて
風神、雷神図屏風が、紅白梅図屏風といっしょに
展示されました
実に60年以上ない、展示のしかただと、聞きました


醸し出される、その雰囲気は、江戸時代が、豊かで
ある階層の人には、余裕もあり、アートを楽しみ
茶を楽しむといった、文化があるのを、くっきり感じさせて
くれるような、そういう、ぜいたくさ、また遊びがある
ということを、思わせるなと、思いました


文人がつながってるということ
これは、池大雅与謝蕪村の絵からも感じたことでした
京都に住んでいた二人に、十便十宜図を依頼したのは
尾張にいた、豪商だといいます


こうしたつながりも、いいですし
十便十宜図、どう表現しましょう
カジュアル、面白いこと好き、ちょっと人をくったような
そんな雰囲気のある、楽しさがあるといっていいでしょうね


明治の豪商、原三渓は、アーティストを支援したことでも
名前がありますね
こうした、アーティストを支援した人というのが
どんな会話をし、どんな気持ちでいたのかを、知りたくなります


アーティストは、やっぱり支援者がいて
育つということがあるのだろうと、想像するからです


熱海のMOA美術館には、たくさんの人が
集まっていました
琳派というブランドは、人をひきつけるといっていい
なにかがある、のでしょうね
実際、ひきつけられるものを、自分も感じた、いい展示でした